明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。
年末年始と通常通り仕事をしておりました。気がつけば料理の仕事を始めて10年になります。たくさんの経験をしながらここまでやってきました。山あり谷ありの人生ですが今年も例年通り楽しく一生懸命仕事に向き合っていきたいなと考えています。
建築家を目指していた私が料理の世界に足を踏み入れたのは東日本大震災の後です。建築の中心にいたいと思っていた私がこのような選択をすることを誰も想像しなかったのではないでしょうか。
震災時、私は一つの恐怖と戦いました。それは建物からは逃れる人生を送ることができないということです。いついかなる時も建物はついてくる。現代で生活する上で建物はなくてはならないものでした。揺れる地球に耐える建物。建築家としての立ち回りに戸惑いました。建物を作る意味を見失った建築家。とは言い過ぎでしょうが私の気持ちは建物学ではなく建築学に向かって行きました。
いつからか私は演じることを始めました。それが私のもっとも大きな建築学です。脚本家になり、舞台美術を作り、パフォーマーになり、ありとあらゆる雑用係をする、そんなパフォーマンスです。
私は世界をいくつのもの目で見る必要があることに気づきました。それは私でも他者でもない目です。それはありとあらゆる場面で有効でした。私が私であろうとすればするほど建築家という一つの幻想が迫ってきました。それはOMAやザハやゲーリーの幻想です。私は演じることを始めました。すると未来の建築が建物であるということの方が幻想だと思うようになりました。それが建築との新たな出会いであったと思います。
建築には衣食住が必要です。
衣は人格を作ります。食は身体を作ります。住は人権を作ります。
そして建築は現在を作ります。
私は舞台美術を作る時に壁は壁ではない方がいいと思うようになりました。床は床ではあるべきではないと思いました。屋根はもちろんない方がいいです。では何が私たちに必要かと考えれば演じる場が必要だということに落ち着くのでした。
今あなたが建築を学ぶのならば何を学びますか。それは工学としての建築でしょうか。
それとも芸術としての建築でしょうか。それとももっと複合的な、、、
リキッドモダニティと言われてどれほどの時が経つでしょうか。アナーキテクチャー、アンビルド、リキッドアーキテクチャー、それに続くニューエイジ。あなたに見えてくる建築の姿勢はどのようなものですか。
改めて料理
このまま建築について話をしてしまっては本題になかなか入れないのでそろそろ料理について、です。
身体をつくる。
料理はものづくりのなかでも異色です。私たちの作るものはその多くが身体の外で起こるものづくりです。しかし料理というのは面白いです。誰が作ったのか、美味しいかもわからないものにお金を払う。そして私たちの胃袋に入れる。これが単純なことではないことは理解できるはずです。それでも私達は何かを食さないといけません。たまには汚い居酒屋なんかも利用したりして。
もちろんこれは安全なものを提供しているとは限らないということを理解しておかなくてはなりません。賞味期限や消費期限という期限があるものづくりです。鮮度や食品の状態も影響します。化学調味料を多く使う料理があったり、私たちそれぞれのアレルギーにも影響します。これがどういうものづくりであり、人と人とのやりとりだということが理解できるでしょうか。私たちの身体は料理を通じて作られていきます。そしてものすごく繊細で複雑な関係性です。
芸術、建築としての料理
なぜこういうサブタイトルにしたかを話さなければなりません。私たちの世代にもっとも関係してくるお話かもしれないと思い書きます。
私達の生まれた1980年代はすでにほとんどのものが整っていた時代でした。それは道路も電気もガスも。携帯も料理もゲームも音楽も。そして向き合うべきはこれから私たちは何を発明するのかということです。
”あなたが今大学生ならただの料理人になりますか、ただの建築家になりますか、だたの芸術家になりますか。”
きっとどれも選びたくはないのでしょう。私は選びたくはありません。なぜなら未来は今をそのまま許してくれるような文化形成はしないと理解しているからです。
私たちは絶えず変化しなくてはいけません。それが生きるということだということを芸術、建築は語っています。
1984年ダントーはアートの終焉について語りました。アートは本当に死んでしまったのでしょうか。そして建築はデザインは料理は、、、
リクリット・ティラバーニャについてお話したいです。
彼がどこの生まれでどんな生活を送りいかにしてこの作品が生まれたのか。何か一つでもその要素が違えば内容は大きく変わっていたのでしょう。この動画には1992年と書かれているのでモダニズム的な要素も少なからず影響しているのでしょう。つまりすべてのことに意味がなくてはならないという、そういう選択を必要とされたと推測できます。
つまり私が何人でどんな人格で性別は、、、等々すべてに意味が付随するような枠組みをはっきりさせたがるような少し堅苦しい芸術という世界の枠を表現した。そんなルールの中で合法な、ギリギリのところを攻めるための手段として絵具ではなく料理を選択しました。それがどういうことだったのか。レセプションパーティーのような展示になったでしょうか。屋台のような芸術作品になったのでしょうか。この作品のたどり着いたのはストリートではなくギャラリーや美術館という少し高尚な場所でした。それは誰が望んだ結果だったのでしょうか。私は今改めて料理という歴史について考え始めました。
ゴードンマッタクラーク。アナーキテクチャーという作品を残しています。彼はレストラン、フードを仲間達と運営していました。食と建築と芸術のアーティストであったのだと思います。ロバートスミッソンやマイケルハイザー。ランドアートと呼ばれるアーティスト達が広大な大地の中で活躍するなか都市を見つめ人を見つめ食を見つめ、その複合的な目に共感する人も多いのではないのでしょうか。建物として存在していたものを建築に昇華することの出来る目を持った人でした。アーティスト達の支援と都市と食を連結させようと試みたアーティストでした。それは誰かに媚びようとせず自立するアーティスト自身の願いであったように思います。経済的な成功と文化への貢献は=では結べない歯痒い時代であったと思います。
これからの料理
料理が都市を作ることもあります。料理が文化を作ることもあります。料理が人を作るように。料理人はそこまでなら考えることができます。これからはその先の料理を見なければいけないと考えています。和食が海を渡る時、ハンバーガーやパスタが日本にやってくるように。境界線を作る料理と壊す料理があります。音楽を料理することも建築を料理することもあります。芸術を料理することもあります。
私たちは何を調理し、何を食すべきなのでしょうか。
これまでとは違う体験を求めています。
写真をCooking.したりもします。それではまた。
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