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執筆者の写真Gaku Sakura

建築術家


自分は建築家ではないので建築術家。美術、芸術、建築術。

設計、監理とは異なる術、そんなものが建築には必要だと感じています。

建築の世界。色々掴みきれることなく物事が動いていて、そんな世界に憧れて踏み入れたこの場所を振り返ってみると以外と魅力的なのかもと感じることが増えてきました。

東日本の震災。それは大きな分岐点でした。設計事務所の内定も全て断って、建築を見つめ直すことになって、

一度目の熊本地震では、地震に体する恐怖と生きていることへの実感を味わい、建築をまっすぐには見れなくなり、

二度目の熊本地震では、映画を見ているような、そして映画の中に飛び込んだような不思議な経験をして、

不謹慎なことに、興奮したりドキドキしたりして、それはもう映画の世界と変わることのない現実で、

絶えず自らを演じる必要性とそれを可能にする場が必要になりました。

現実を受け入れる術と、現実を拒絶する術を身につけなくてはなりませんでした。


”明日私達はパフォーマンスを行ないます。あなたはあなた自身を演じるパフォーマーの一人になってください。”

演じるという場、舞台が少しずつ思うような形になりつつあり、今の建築を受け入れられるようになってきました。

隈研吾さんの建物は、本当に負ける建築で、

アイレスマテウスは建築の歴史を端的に形にしていて、それは現実的なものとの直面に諦め?のようなものが感じられ、

ザハは亡くなり、彼女の事務所はロンドンの設計事務所らしさを得て、

ゲーリーは相変わらずゲーリーで、

アッセンブルがターナー賞を受賞というサプライズ、

日本のリノベーションブーム、

そんな建築の今に魅力を感じます。

こんな現実もいいのかなーといった具合です。

建築は舞台セット、ハリボテのお城でも建築。

夢の国とはほど遠いけど、今の日本はこれはこれでいいのかもです。


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