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執筆者の写真Gaku Sakura

日本建築。


学生時代はコールハース、磯崎新、アーキグラムが私の憧れだった。そしてヘルツォーク&ド・ムーロンがいつの間にか好きになっていた。なぜだろう……

一つは中尾寛先生からの影響だと思う。

先生はアンビルドな建築家として知られていてた。アンビルド建築に魅力を感じていた学生のころの私は迷いなく先生のスタジオを選んだ。クリアファイルにスケッチを挿みその上からは無数の落書きが生まれる授業。それはエスキスチェックと言われるようなものではなく、ストリートにグラフィティを描き、その上にまたグラフィティを描く、ゴーイングオーヴァーなものでそれは二人の喧嘩、駆け引きのような会話だった。ある時私の造形から先生は私に問うた。表参道で一番好きな建築はなんだ?と。私は答えられなかった。その時先生は言った。あそこで成り立っているのはプラダだけだ、と。理由をすべては説明してくれなかったが今では何となくわかる。それはコンテクストの読み解き方、そのコンテクストからの導きを造形に落とし込む巧みさにある。コンテクストを紡ぐ術は先生から教わった一つの武器になっているのだが、その例えとしてもヘルツォーク&ド・ムーロンはいい参考になる。表参道といいう場の読み解き、交わり、建築の歴史の紡ぎがそこにはあり、それをあえて外してみせる確信犯的建物はやはりかっこいい。

そしてもう一つは菊地宏先生からの学びだ。菊地先生はヘルツォーク&ド・ムーロン、そしてSANNAの出身である。双方とも世界的建築設計事務所である。

私はデザインの思考、分析の方法を学んだ。当時の研究内容が建築のイメージとその残像(印象)がテーマであったのも先生の影響である。(先生の著書には建築デザインのアイデアとヒント470というものがある)私は先生のデザインの導き方(方法論)をものすごく繊細に体現している存在としてヘルツォーク&ド・ムーロンを見ている。そのうまさはさすがという言葉以外にない。

これはあくまで建築を建物として見た時の話しであるが、ここに建築の終わりを知ってしまったのも一つの事実である。建物という終わりである。

そんな先生方の系譜の末端に私がいるのであるならば、私はそんな先生たちとは異なる道を歩まなければならない。それが菊地先生からの教えだ。それが唯一自分を建てる方法であると。

建築山脈の末端にいる自分を意識させられることになれば、前川國男や丹下健三、菊竹清訓からなる歴史に立ち向かわなければならない。険しい道ではあるがワクワクする。

最近はこのブログで紹介してきたダンサーさん達がファションブランドとの関わりをもったりしています。すごくいい傾向だなと思って見ています。ダンスがダンスで留まるのも、ファッションがファッションで留まるのも無駄なだけです。そこからの違いが必要になる時代です。

ってことで今注目しているダンサーAko SWAGさん。Riehata Tokyoのメンバーです。



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