前回の続きです。
隈研吾さんの作品は相変わらずと言ったところでしょうか。すごく美しいCGでした。出来上がった時の印象との差でいつも戸惑います。CGはこんな印象ではなかったんだけどな、、、と。そこが建築の面白さだと思いますし、難しさでもあります。そこでいつも思うのはこのCGと現実の建物との差を建築家自身がどう対処しているのかということです。CGは建てるための道具に過ぎないのか、本来の目標とする建築とはCGの中にあるものなのか、、、そのどちらでもないのか、、、どういうスタンスでこのCGを使っていくのか、とても大事だなと思いました。
全体を通して言えることだと思いますが作品自体のコンテクストの読み方としての正解があやふやな印象を受けます。どこに目を付けたらいいのかがよくわかりませんでした。問題を解く力は改めて凄いなと思う反面、その解答では満足できない自分がいました。これは私のせいだと思います。立体も少し弱い気がしました。この作品はノレてないなーという印象です。
石上純也さんの作品ももう既定路線だなという感じです。それを見つけることができたことが凄いことなのですが、、、他とは距離を置こうとする姿勢が見えます。切り捨てる場所と拾う場所の食い違いがよく起こります。その状況に面食らってしまうわけです。そこでこの人と自分は混じり合うことはないんだろうなと感知してしまいます。それが1つの武器になっていることは間違いありません。芸術だけじゃなく建築にとっても他とは違うテクニックを意図的に見せることができるという効果はとても大きいです。
アイレスマテウスの立体は面白かったです。何か全てをミニマムに持っていこうというする意図がありますし、その起源を思わせるようなものでもあります。とても単純な形態にもっていこうとします。そこでの関係性は結構未知数で面白いです。複雑な平面構成は意外とパターンが決まってきてしまうもの、それと比べてシンプルな平面構成は少し勇気が必要だと思いました。
TNAの展示は一番展示を意識していたのではないでしょうか。コンテクストを踏まえつつ什器は使用していません。立体がグーンと立ち上がり床にアクリル板が置いてありました。アクリル板の意味がよくわかりませんし、立ち上がる模型がスチレンで歪んでなんともか弱いものであったのが残念ですが、、、展示の意味を捉えようとしていたのではないでしょうか。ハッとさせられましたし、展示という事に目を向ける建築家はなんでこんなに少ないのか?と疑問に思ってしまうほどです。展示という免疫が無さすぎるのはちょっと問題だなと思いました。
建築がもう少し他のコンテクストを扱うことがなぜ出来ないのかといつも思います。
大抵のものが建築の小さな話で終わってしまう状況です。もうすこし大きなコンテクストを使って広がりを見せたほうが若い人たちのためにもなるのではと思いました。
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