10月6日。今日から新たな作品を制作開始しました。
なかなか刺激的な毎日を送っています。
建築を想像し、台本と大道具と小道具を準備する日々です。
建物の設計をする所謂"建築家"とは少し役割が異なりますが私も建築に生きる一人です。
7月に完成したコスチュームはなかなかいい仕上がりとなりました。
ゴールドとピンクゴールドを使ったリング。演じるための小道具として制作しました。
造形の部分で悩むことはありました。カタチとしてのユニークさを求めました。ありふれたシンプルなデザインでは建築を喜ばせることはできないと思いました。かと言ってなんでもありのデザイン論などは全くもって必要とされているものではありません。
必要なものを理解する必要がありました。
ダリは唇や目をモチーフにしたジュエリーをデザインしました。それはアーティストとして作ったものだと理解できます。そのコンセプトはシュルレアリスムのそれでした。
ダリにとっては絵を描くこともジュエリーを作ることも大差のない問題であったのかもしれません。やりたいことは一つ。現実を超える何かを求めた、ということです。
私のデザイン方法は平面図、立面図、断面図から制作することにあります。特に大事にするのは断面の図です。
私の知るリングの特徴というのは、円とモチーフがそれぞれにデザインされて最終的に合成されるものであるということ。もしくは大きなモチーフに指の入るサイズの穴を空けるという選択のどちらかです。これは大まかに分類すると、ということになりますが大体はどちらかに当てはまります。それは平面図の1Fと2Fを描くという方法、断面図に大きなヴォイドを与えることに似ています。私はこのような方法を脱構築することを考えます。
PはPHARMAKONのPでありPerformanceのPです。Pという文字がリングを形作る、その過程で出会うであろう人。Pにはめられた一つのコマ、それはローマ字のIです。それを別の角度から見るとCの文字になります。それはIC=interchange.
つまりもう一人の自分と出会う時、未来へと繋がる複数の交差する道が生まれます。どのような道を選んだとしてもその頂点を目指す。そのためのPerformanceがPHARMAKONの舞台にはあります。
このリングでは平面図と断面図と立面図をあらゆる角度から構築していきます。そして合成された複合体というものではなく流動的な一繋がりのピースとして制作することを目指しました。もう少し噛み砕いて説明するとリングに正面を作ることを拒みました。どの角度から見ても正面になるようなデザインを望みました。リングがある一点にデザインを集中しようとしているこの状況からは逃れたいと思いました。
するとリングには裏も表もなくなります。下も上も関係なくなります。右も左も関係なくなります。そんなパフォーマンスの舞台にふさわしい小道具にしたいと思いました。
それは舞台セットを作る方法にも適用されます。正面を作ることをしません。もしくはどこから見ても正面になるデザインです。
それは私の台本にまつわる話です。私の台本は日常を演じる舞台です。それは日常と非日常の境界線で行われるパフォーマンスです。つまり客席はありませんし、ステージもありません。パフォーマーと観客が正面で向き合うという構造は成り立ちません。そこには舞台袖もありませんし、舞台裏ももちろんありません。パフォーマーも観客も流動的に動きまわります。指定座席はどこにもありません。土地に定着された建物を建築が求めることもありません。
それはとても変化に富んだ舞台です。あとは演じる側に立とうとするのか、見る側に回るのかという関係性の話になります。演じる側が舞台セットの椅子を使うこともあるでしょう。観客が舞台を観るために舞台セットの椅子に座ることもありえます。
私が作る建築の世界とはこういったことが起こり得る世界です。
私たちが演じると同時に建築も何かを演じ始めるそんな建築のあり方を提案しています。
"日々変化していく環境の中で立ち止まることは許されず、その状況に適応していくことが求められる。"とそんな堅苦しいことを言いたいわけではありません。が、、、
建築が人の生きるに寄り添える存在であり続けられたらいいなと思っています。
最近は何か世界が大きく変化する予感がしています。それは破壊と再生によるものとは少し違うのではないかとそんなことを考えています。きっと再生する途中で奇形するだろうと、そんな未来を考えています。噛み砕いて言うと、壊され、作られる途中で思いも寄らない方向へと導かれていく、そんな未来です。ファッションの世界がストリートで埋め尽くされること、1990年代そんなことは想像もしていなかったです。POPやROCKではなくHipHopが音楽の中心になることも当時は想像できませんでした。KAWSやBanksyが美術館を占拠するとは思っても見なかったし、もちろんsupremeがLuis vuittonとコラボすることも想像はできませんでした。
今やストリートカルチャーはすべての道へと繋がります。いえストリートとはそもそもそう言ったものであると理解するべきでだったのでしょう。このストリートに次の反応を見せるのは建築なのでしょう。私は確信しています。
仮想空間と現実空間があります。その空間とはもちろん建築のことです。この二つの場所をつなげる道はストリートです。建築がストリートと交わる時、建築は今までのそれとは姿形を変えるはずです。それはポストデコンストラクションです。
今私が考えているのはそのストリートと建築のハイブリッドなるものが人々を直接集める場になるのか、切り離しながら間接的に繋げる場になるのかということです。人々が隔離されることは想像しません。が今まで通りの人が集まる場とは異なる場になるのでしょう。
コンサートとコンサートホールはストリートに建築として生まれるかもしれません。
それはスペースを一時的にhackingすることかもしれません。文字通りjackすることかもしれません。人々の食事も変わるかもしれません。ストリートを建築がhackingする、jackすることで飲食店は客席を設ける必要はなくなってしまうかもしれません。
ここでは建物はその一連の生活の過程の一部です。そこが帰る場所でもなければ職場でもありません。それはその一部、ということです。つまり用途の解体が起こるだろうと。家だとかオフィスビルだとか、飲食店だとかそんな概念は壊されるだろうと。では法規はどうなるか。きっと仮想空間での手続きで現実が書き換えられるオーバーラップが起こるだろうと、そうなるべきだと思います。
きっと仮想空間とは私たちが考える物事の可能性を広げる場所ではないと思います。もっと実用的なデータを扱う場所だと思います。その現実を可視化するための場だと思います。
それは夢や希望を叶える場所ではありません。現実の仕様を書き換えることのできる建築となるのではないでしょうか。
つまり建築は流動化します。
明日私の家はレストランになっているかもしれません。クラブになっているかもしれません。ごくごく小さなスペシャルライブをHIPHOPのアーティストとともに、なんてことだって可能になるでしょう。私たちの生きる世界がこういう演じ方ができるようになりますように。
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