はじめに
まずコロナウイルスに伴い卒制展を本来の形で行われなかったこと、非常に残念に思います。しかし皆さんが起こしたこの展示によって建築はいくらか救われた気がしています。今私たちの建築は変革の時を迎えているのかもしれません。姿形、コンセプト、歴史。建築にも様々なカタチがあります。次の建築史に積層される建築とは一体、、、今そんなことを考えてしまう自分がいます。
いい建築とは一体どのようなものなのでしょうか。私たちは賑わい、活気のあるポジティブな建築を目指していたのだと思います。しかし、現在の建築の状況を考えてみるとそれらのポジティブな建築は突如反転しネガティブな建築になりつつあります。
そのような状況は私たちの生活の中で度々起こります。私たち建築に携わる者はその刻一刻と変化する環境に反応し対応し建築するべきです。
私は皆さんの対応にまず感謝したい。建築とは建物を作ることではありません。建築とは私たちの礎となるものです。全ては建築であると言うこともできるでしょう。私たちはそんな建築を扱うわけです。建築家と言われる人たちの仕事を見てください。建物を作ることでは解決できない問題が散らばっています。しかしそれらの問題に建築を学び応用し実践することはできます。私たちはそんな建築を目指すべきです。そんな中、皆さんの卒制展はまさしく現代建築であったと言えるのではないでしょうか。
全体
プレゼンボード
全体的に気になったことはまずプレボの出来栄えです。これはちょっと面白そうだなと人の目を引かなくてはいけません。もちろん理論的に説明、構築していくことは必要ですが私たちは造形を扱う者です。形を平面で表現する方法をそれぞれに考えなくてはいけません。
有名なものばかりなのでどこかで見たことがあるかもしれません。ここには何かがありそうだと思ってしまう、そんな何かが潜んでいます。さあそれはなんでしょうか。問題です。
そして様々なコンテクストを結びながら自身の建築作品の重層化を図ます。
と少し脱線してしまいましたが、プレボの見せ方に問題があるような作品が多いように思いました。学内を意識した作品ならばそれで良いのかもしれませんが社会のなかで建築に挑むのならばもう少し挑戦的な表現があってもいいのかと思います。わかりやすさも必要ですが何か引っかかるもの、謎がないとダメです。上の作品にはそれがあります。
それからレイアウトも気になるところです。スイスの建築雑誌などを見てみるのはいい勉強になるのかもしれません。日本的に言えばあらかじめコマ割りを決めておくとうまくまとめられます。文字の距離感、イメージの添付それは図面を描く作業と変わりません。もう少し意識的に平面を構成してみてください。
この場は学校という場とは異なります。そして専門家だけが見るものでもありません。ならばその場にあったプレゼンというものを今後はもっと考えていくべきなのかもしれません。学校という場から、建築家だけが集う場所から離れることが必要です。
建築模型
建築模型にしても同じことが言えます。まず構造を作り出そうとするならばスチレンボードはちょっと避けたいです。理由はいくらかあるのですがまずスチレンボードの歪みたわみが全体を把握する時のノイズになります。どこまでが意図されたものなのか把握しづらいです。模型は一体何のためのものでしょうか。そして建築の構造とはどういったものなのでしょうか。少し意識したほうがよいのかもしれません。建築にとってスチレンボードは軽すぎるし柔らかすぎます。それは効率とは切り離して考えるべきです。
家具や植栽等を設置することについてももう一度考え直してみてください。建築の機能性を押した作品が多かったこともあるのですが空間自体の魅力を感じる建築が少なかったように思います。私たちの知る建築は造形物です。そしてそれは意図的にでなくとも人々の目に映ってしまいます。いくら魅力的な機能をプレゼンしたとしても造形的な魅力、空間そのものの良さを感じることができなければ建築としての意味はないのではないでしょうか。
もし自分の建築空間に自信があるのであれば植栽や家具を一回排除してみてください。そこに残る空間をあなたはどう思いますか。
展示
展示ということで言うならば少し酷ではありますが机やパーテーションを使った展示というのは一体なんなのか、ということをもう一度考えたいところです。私たちは建築を作品と呼んだりします。作品をパーテーションに貼ったり、机に置いたり、作品と呼ばれるモノたちが少しかわいそうです。美術館やギャラリーを訪れたとします。プレゼンボードは絵画、模型は彫刻という役割で想像したとします。村上隆さんや草間彌生さんの作品は茶色いパーテーションに貼られたり汚れた机の上に置かれたりはしないでしょう。みなさんは自分が作った魅力的な作品の価値を無意識に落としています。もしプレボは絵画ではないしな、と思った方はキャプションをイメージしてみてください。みなさんは建築を学んだはずです。展示も建築の一部です。いやこの#かってに卒制展が一つの建築であると改めて言っておかなければいけません。建築のなかの建築、そんなところでしょうか。なので模型を置くということがどういうことなのか、プレボを展示することとは一体どういうことなのか、もう一度考えてみてください。ここはプレゼンテーションの授業をする場ではありません。卒制展です。一部例外もありますがマステや画鋲を使うのはありえません。
この場であればプレゼンは動画を使うこともできます。学校のような提出の制限もありません。作品を魅力的に見せる方法を一から構築する楽しさがあります。これからこの場で発表しようとする人たちには一つの課題になるのかもしれません。
去年はいい展示がたくさんあったので参考になるのかもしれません。
中山さんのCINE間。
トムサックス
展示の方法を見てください。それぞれに構造、構成のアイディアがあると思います。
気になった作品をピックアップします。
HaNさん 余白不動産
バグやハッキングという言葉の面白さと建築が重なった作品。が、ストリートアーティストたちのグラフィティーのようなエッジはありません。法律という問題を逆手にとるのがアーティストであり、法の隙をつくのがこれからの建築家なのかなと色々想像しました。今で言えば再生建築を行なっている青木茂さんや神本豊秋さんが思い浮かびます。個人間で成立する自由を法規によって得るという面白さがあります。
あとは川俣正さんとかが好みなのかなーと。大まかなコンセプトは非常に面白いものがあります。あとはここに可能な造形の可能性をしっかりと示すことが重要です。建築的に、アート的にどちらでも構いませんがこの先にはもっと踏み込んだコンセプトがさらに必要になるのではないでしょうか。その提案があればもっと魅力的になったのかと思います。アトリエワンのペットアーキテクチャなどがコンセプトの素になっているのでしょうか。となるとバグやハッキングという刺激的な言葉よりももう少し柔らかい表現になるのかもしれません。
バンクシーやJRなどのアーティストを意識するのであれば法を守るのは弱点になります。そして匿名性を獲得するなど考えなくてはいけないことが増えます。しかし賢い。建築家には好かれる建築でしょう。あとはその魅力をどれだけ伸ばすことができるか。です。
Mitsuki Nakamuraさん 東京暗渠再生
比較的卒制ではよく見るようなプランであるように思います。少しプレボの文字が読めないので想像で書かせていただきます。まず都市を壊すでも作りなおすでもなく更新していく、もしくは上書きしていく建築の面白さがあります。環境装置として選んだ素材がどのようなものなのかわかりませんがこのカーテンのような空間は非常にアイロニカルだなと思いました。この作品は暗渠を覆うような形でプランニングされているように見えますが既存の建物にカーテンをするようでもあります。これは既存の建物の造形的な魅力のなさをカモフラージュするために機能しているようです。僕はこれが裏のコンセプトだと思っています。表向きは建築家の先生たちの面子もあるため暗渠から都市を再構築します、と言ったに違いない。と想像します。
この言葉は借り言葉ですがこのような表現を梱包芸術と言ったりします。これは保護、隠匿、装飾する目的で行われます。物体を覆い隠すことによって逆説的にそこに内在する形態、意味、歴史などが浮き彫りにされるという効果があります。事物を日常的なコンテクストから隔離すると同時にその意味を変容させてしまうのが「梱包芸術」です。
彼女の作品で懸念されることはまずその梱包する期間。それと半透明なこの装置が梱包として機能するのかどうかということです。期間が長すぎるとそれ自体をまた梱包しないといけない事態になりがちです。プレゼントは開ける時が楽しみです。その時見える建築が大きく変わっていることにこの作品の価値があるのかなと思います。中に何があるのかわかっていても梱包を解くのは楽しいものなので半透明というのはいいのかもしれません。もし長期で梱包するのであれば造形的なスタディをもっと行う必要があるように思います。
MASATO IWASAKIさん
彼のやりたかったことが今回の展示では見辛いなと思うところです。彼のアイコンが一番わかりやすいのでは?と思いました。(アイコンで彼はサヴォア邸を着ている。)つまりモダニズムから現代に至る建築とは一体なんだったのか?という。その象徴としてサヴォア邸を選択したのだと思います。
そしてそれらの建築は今の今に至るまでファッションのようなものだったと。これは建築を批判しているのでもなんでもなく、ありのままの建築の姿としていいアイディアだと思いました。建築にも流行は存在しますし、知的にごまかそうとしますがそんな知的な建築はごくわずかです。ならば別の要素(この場合はファッション)を取り入れてもいいだろうと。しかしこのプレゼンされている作品にある自由は効果的な自由ではないような気がします。模型は建築のそんな歴史を賞賛しようとしているようには見えません。賞賛する必要はありませんがこれは暴動に近い。建築の歴史は無しとされてしまっているように見えてしまします。集団として建築をコントロールする難しさがあります。建築をスケールダウンしていくことの方が市民との建築は成立しやすいのかもしれません。サヴォア邸のレゴブロック(おもちゃ)を使って建築に触れ次の建築のあり方を模索するというようなことの方がシンプルなのかもしれません。そんな場をつくることも立派な建築だと思います。
建築のスケールアップをしたコールハース。
建築をスケールダウンしたMASATO IWASAKI。建築を市民と共有する。そういう戦略もいいのかもしれません。
建築を着る。FINALL HOMEやヴェトモンなどが参考にできるでしょうか。
もし建築の建物性にこだわるのであればアセンブル。刺激的なものを求めるのならゴードンマッタクラーク でしょうか。彫刻的に考えたいのであればANDREW KOVACSなど。参考にできる人はたくさんいます。不法占拠と現代建築への疑問を解くということ自体ひょっとすると相性が悪いことなのかもしれないのでその建築自体の変換を試みた方が面白いと思います。
かわさりさん 砂の絆創構
今回の展示では異質な建築であったと思います。建築を作る手数は最小に抑えられ、消えていくことを目的とする日本らしいアイディアです。もったいないのはこの規模の建築ならばモックアップできたのではないか、ということです。ものとしての力が弱いなと思います。ただこの弱さがこの建築の優しさだとするなら、、、そんな難しいバランスでまとめられているようです。人のための建築とは異なる建築を目指す、共感しました。今回はこのような形で魅力的に映りましたが次はもっと大変になると思います。造形力や構成力はほとんど見ていないので次にどんなことを建築として捉えるのか、楽しみです。
西 寛子さん 「土地を捕まえる建築」
僕は一人のアーティストをすぐに思い浮かべました。大学の同期だった村上慧くんです。彼は家を運びながら生活をしているアーティストです。きっといつの時代もいるのでしょう。建築と人、自然とのふれあいその繊細さに目を向ける人たちが。建築家は建築を作るといいます。その建築の弱さを解体するとするなら彼らは設計をしているだけで作ってはいません。それを建築を作るというのであれば彼女はその先を行きます。つまり建築を作り、作品を作り実践をするアーティストのようです。現代アーティストでも発注芸術の場合がありますがこのように建築に自らの手垢をつけながら場を構築していくことにこの作品の価値があるように思います。彼女のいうカワイイは造形的なところではなく、こう言った素直な建築との向き合いにあるように思います。
あとはやはり造形的な思考をやめないでほしいということです。コンセプトや実践することに関してはこれから知識や経験と共に大きく魅力的になる可能性があると思います。しかし造形は鍛えないといけません。これからもっともっともっと手を体を動かしてほしいです。
Arishiさん 『HELLO BABYs』
展示という点において非常に優れていたと思います。建築学生は展示を意識することが弱いようですが本来はこうあるべきです。赤ちゃんの電子化という、、、アイディアを形にすることの面白さがあります。とてもわかりやすい作品でした。動画等もアップされているようです。
色々考えてみましたがこれは赤ちゃんがテーマではないのかもしれません。アイフォンが愛フォンになる。愛フォン赤ちゃん。アイフォンが赤ちゃん化するという、、、つまり人間はiphoneを手放すことがなかなかできない。でも赤ちゃんポストがあるようにアイフォンポストもこれから必要になるのかもしれません。そしたら建築家の仕事だと思います。
人見 文弥さん Likeの肖像 今回の卒制展では異彩を放っていました。絵が面白いです。画像は雲のように私たちの生活に影を落とす?というような。今時の作品で内容的には考える学生も多いのかと思っていましたがこういったテーマが少なくて驚きました。建築の消費だとか色々懸念されることもあると思いますが、建築イメージのいいねによる偽装なので建築の良さがなくなるわけではありません。インスタ映えする建築も賞賛され分析され応用するのはいいことかなと思います。ここで問題なのはこれがカットアップ、サンプリング、リミックスというシミュレーショニズムもしくはアプロプリエーションの中にあるということです。それはつまりどういうことかというと、そのイメージを自らが使うように他者もそれを使う可能性があるということです。最初の作品というのは過激で刺激的なもののように映りますがこれを繰り返すとその効果は必然的に薄まってしまいます。方法としては1980年年代のものでヒップホップ等で流行りました。この先に何か建築の可能性があるとするならどのようなものでしょうか。そういう期待をしながら作品を見ました。オリジナルとコピーの区別が消失し、コピーが大量に消費される現代社会において残り続ける建築とは一体どのようなものでしょうか。
一つ現在のヒップホップを参考にしてみると今ではアイドルでもヒップホップ、ラップします。文脈としては交わるはずがなかった。これは下克上的戦略です。オリジナルとコピーの意味が消失することによって音楽に見分けがつかなくなりました。今では何がヒップホップでポップなのかもわかりづらくなっています。ヒップホップがホップになったと言うこともできるでしょう。
それを建築に置き換えると建築家の作ったオリジナル作品は学生やゼネコン等でもカットアップ、サンプリング、リミックスされオリジナル性を失うということです。現に藤本壮介さんの建築やSANAAの建築というのは流用され続けた結果、今回の卒制では一つも見ることができませんでした。大量に消費すると消費者は飽きます。今は隈研吾風作品が多いようです。音楽より少し寿命が長いので少し参考にするには弱いですが想像はできるのではないでしょうか。するとここにも革新的な核のようなものを新たに付け加えないと生き残れない。とすればその核とは一体。というような具合です。建築のイメージだけを扱うより現代アートのイメージも付け加えたり、SF映画などのイメージも取り入れるのでしょう。どうなるかはわかりませんが、フォスターゲージのような世界なのかな。
今の提案だと建築雑誌の表紙を再構築しているのと変わらないのでインスタ的な日常を取り入れることになるのかなと思います。どんな建築なのでしょうか。
かってに卒制展
僕が面白いなと思った作品を何個かあげさせてもらいました。未来の建築を想像する時間は非常に有意義なものでした。もっともっと建築を好きになってほしいなと思っています。
DIYがテーマになっている作品がありました。アセンブルなど参考にしてみる建築家はいるのでその先の建築を見てみたいところです。インスタレーションでは参考になるアーティストは山ほどいるのでなんとも言えませんがサラジーやスドホなどは見ておく価値はあるでしょう。建築的に言うとレアンドロ・エルリッヒはあまりオススメしません。それよりもダニエルアーシャムやオラファーエリアソンのほうがいい気がします。それからソルルウィットやヴァージルアブローなど建築との関わりが多いアーティストもいるので勉強してみるのはいいかもしれません。建築の今後の可能性を探る上で何かのヒントになる可能性があります。
記念品の贈呈はMitsuki Nakamuraさんに送らせていただきたいと思います。
卒制の作品もいいと思ったのですがこの#かってに卒制展という建築を作ったことにまず感謝したいです。展示するだけでなく建築の場を実際に作り上げたことは大変素晴らしいことだと思います。ありふれたイメージとコンセプトで溢れかえっている建築の世界の中で久しぶりにオリジナルに出会うことができたような気がします。
DMからでも送り先のアドレスを送っていただければ郵送いたします。もしない場合はまたどこかでこのような機会があった時の記念品にでもしようかなと思います。
そして展示をされた皆さんへ、ご卒業おめでとうございます。
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