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執筆者の写真Gaku Sakura

これからの建築について




奇形の建築

どう文章を書こうかと悩んだ結果このような見出しになってしまった。きっと僕の建築は建築家には理解されないだろうから好き勝手に書くことができていい。学生が読んでくれて変な影響を与えてしまったのなら申し訳なく思う。

僕のいう奇形の建築。

奇形とは生物体において、多くは先天的に、一般とは異なる形態を示すもの。ということらしい。コピペしてきたものなのでここら辺はざっくりと。僕の建築は一般的に言う建築とは形態が異なる。それは名刺の形をしていたり、ブックマークの形をしていたり、指輪の形をしている。時には少し変わったレストランを期間限定でオープンしていたり、、、

そんな奇形の建築が生まれたのは2011年、東日本の震災からである。

大地は揺れ、建物は崩れ、爆発し津波に流された。そんな状況の中で建築の世界に飛び込んだ僕の建築は奇形した。ぼくら世代の建築は奇形して当たり前だろうと思っていたのだけれども僕の同期の建築が奇形することはなかった。日本建築にとっての震災とは一般的にみたらそれは日本の歴史の特別な部分ではなく、それも一般的な日本建築史に含まれるものなのかもしれない。


9年前の今頃僕は建築に悩みもがき苦しんだ。なんてことは本来言いたくはないのだけどそれぐらいに自分は落ち込んでいた。何に落ち込んでいたのかというと、自分自身にであり建物にではない。建物はすでに完璧ではないことを知っていたし、建築はそれを許容しているように思えた。戦争や震災も含めて建物は壊され、作られまた壊された。

そんな状況さえもノスタルジックに写真に収められ教科書に載るのだから建築とはそういうものなのだろう。もちろんこれは日本の建築の話。

僕は東日本大震災の時これで日本の建築は大きく変わるのかもしれないと、新しい建築はどんな姿をしているのだろうとちょっとだけ期待した。

蓋を開けてみれば建築はそう大きく変わることはなかった。いや、むしろ保守的になったのではないだろうか。どれも今までの建築の歴史を編集したものに納まったように思えたし、何よりデコンストラクションの建築が日本にはまだない。それは世界との建築の距離を生みだした。出遅れた。新国立競技場がそれを物語っている。

僕はアニメや映画に飛び込んだかのように当時感じていて、震災というものを体験した。僕は建築の変化を求めたのだけど世間は建築の維持を求めた。その差は僕のアナーキズムだろうか。そうでないと思いたかったのだか完全に否定することはできなかった。そんな自分の目の前にあった建築がどんどん遠ざかっていく。近付こうとすることなくその建築を見放そうとしている自分に落ちこんだのだと思う。


演じる建築

僕は何かを演じるように建築とふれ始めた。すると建物は何かにすり替わったかのように思えて新鮮だった。建物は舞台セット。となると僕には当然建築が必要になり言葉に建築を求めた。それが最初の名刺の建築であり、台本である。

それから僕は僕自身を演じ、建物は舞台となり、僕の作り出す建築は小道具のようになっていった。その頃だろうか”芸術が終わった後のアート”という松井みどりさんの本に出会ったのは。これは僕の中では大事な本で芸術を建物にアートを建築に置き換えて色々とこれからの建築を想像した。それからパフォーマンスの美学というエリカ・フィッシャー=リヒテの本を繰り返し読んだのを覚えている。そこには小道具と境界線について書かれていてそれはまさに日本の建築のテーマでもあり、場を形成するための小道具やセットや台本という構成物が建築に置き換わる瞬間になった。その頃から建築と芸術の複合的な構成を考え始めて今に至る。それを簡単に言葉に置き換えるとするなら建築のために建築するということなのだろう。


2016年4月14日

熊本にある建築家の建てた建築のそのどれもがほとんど機能を失っていた。機能を失って建築の建築らしさがようやく建物に現れるから皮肉なものである。そして本来は建築とは呼ばれることのない建物でさえも建築らしさを帯びた。いや建築になっていた。それは無人の箱。生活の痕跡、その大きな揺れのあった状態のまま空間はストップした。それはまさに演じられた映画の中のワンシーンのように。

建築とはなんなのか。西沢大良さんによれば建築家とは、いわゆる建築士免許(一級建築士・二級建築士・木造建築士)をもつ者のうち、前例の ない建物をつくる少数の人々のことです。

ということらしいのだが前例のない建物をつくる少数の人々のことをいうのだから”ここ”に建築の姿が現れるのも必然だろう。ただ人ではなく地震が建築を作ったのである。そして現代的に解釈をするならこの場を作るのは建築士でなくてもいいし、そもそも人でなくても構わない。そんな解釈さえできてしまうほど日本の建築は奇形なのではないか。

当時僕は隣の公園に布団を持ち出し、近所のおじさんやおばさんに囲まれながら夜空のもと寝た。これも僕の台本によれば建築の一つの部屋にすぎず、大きな建築は今もなお変化しながら場を構築している。


コロナウイルスと建築

ここでも建築はしっかりと機能しているように思えた。建物も機能しているのに日常に建築を感じるのはコロナウイルスのせいだろうか。人と人が交わるのを避けるように生活しイベントごとはほとんど中止。電車の中も通常の半分くらいの人しか乗っていない。これはこれで今までと異なるところに建築を作り出しているかのようで僕の台本は建築の建築として機能する。#かってに卒制展 という建築も生まれた。それは今までにないような構造をもっていてそれはSNSの中にある。今までと明らかに違うのはその建築を建築学生が作り出したことである。建築士の資格をもっていなくても建築を作りだすことはできた、コロナウイルスが機能したためだろうか。環境によって建築は姿を変える、変えなくてはいけないのだから純粋な建築の流れなのだろう。しかしここでも古臭い建築家たちは実際に模型と図面をみてみたいという。そこにどんな建築があるというのだろうか。いつも彼らは言う。実際に見てみないと、行ってみないとわからない。ただ彼らは建築を建物に帰属させたいだけである。もう実際に見ているし着いている。これが#かってに卒制展という建築の場なのである。


日本奇形の建築展

今でもなお延期してでも卒業設計展をしようと試みているところもあるらしい。僕はあまり賛同することができないでいる。今までの建築とは人と人とが行き交う賑わいのある場がいい建築とされてきた。しかし現代のいい建築とはそういうことではないのかもしれない。それはワールドトレードセンターのテロの時もそうだし、コロナもそうなのだがあるシンボリックな人の集まる場というのは決していい建築だということではない。そして実際に見ること行くことが建築でもないのだ。一人の場でも寂しい場でもいい建築である可能性は十分にある。前例のない建物とはなんであろうか。その時の建物とは決して枠のことを言っているのではなく、コンセプトのことであり建物というものの意味を考えることに他ならない。コンセプチュアルアーキテクチャー。建物はそのコンセプトを定着させる箱にしかならない。

ならば日本奇形の建築展その一部に#かってに卒制展 の学生の展示をさせてあげたいと私は思う。震災の建築の隣に、ゴードンマッタクラーク の建築の隣に、リクリット・ティラバーニャの建築の隣に。全てをクリストの作品で包まれるのもいいかもしれない。中に入ることができなくてもいいかもしれない。宇宙の缶詰のように全てをひっくり返してみてもいいのかもしれない。そこにはVRもあるだろうし、舞台も台本もあるのかもしれない。一錠の薬も、世界を旅する家もあるかもしれない。僕はいつだってこんな建築を夢みている。

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