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執筆者の写真Gaku Sakura

個展始まります。

父と母は姉が小学生の時にピアノをあげました。父と母は私が小学生の時にレゴブロックとステューシーのフリースとシュプリームのステッカーをあげました。姉は保育士になり私は建築作家になりました。

市議会議員であった祖父に対して母はすこし抵抗があるということを私に話して聞かせました。祖父は欲しいものを買え与えてくれました。旅行もおもちゃも私がほしいものは買い与えてくれたように思います。祖父は引退後、全財産を使い温泉を掘りました。しかしすぐに売り渡してしまいました。祖父の破天荒さ、豪快さを母は少し呆れてみているようでした。

私には大工になってほしいと母に話されました。お金持ちになる必要もないし、曽祖父のような人になってほしいと。私は不登校になりましたが、その時救ってくれたのがGAという雑誌です。この本には建築家の夢が詰まっていて私はその夢に心動かされました。

ゲーリー、ハンスホライン 、コールハース、HdM、ズントー、アーキグラム。震災を経験し、様々な知識を得るたびにロバートスミッソン、ウォルターデマリア、ゴードンマッタクラークと芸術を建築的に展開する?アーティストたちを追いかけるように私は作家という道を選びました。


今回の展示についてです。

少し関節的に話をします。

ダンフレヴィンは蛍光灯を絵画のように見せようとしました。蛍光灯を壁に展示してみせました。光だけでなく蛍光灯という存在を見せようとしました。そして絵画には光が重要であることを密かに教えてくれました。光が重要ならば光こそを絵画にすればよいと。

カールアンドレは床に銅板をスクエアになれべて見せました。彫刻は見るだけのものではないことを教えてくれます。そして四方向からだけの視点ではなく真上からの視点を同時に獲得する方法を教えてくれます。そして私たちの芸術に対する接し方を新たに生み出してくれました。

壁にあるものは見せるという意味合いが強くでます。床にあるものは体験を意味することが多いでしょう。そして天井にあるものは現象的に見せ、その方法を隠したがります。

私はダンフレヴィンをカールアンドレ風に料理することを望みました。それが建築作家としての仕事ではないかと思いました。蛍光灯を天井に取り付けることなく、芸術と建築の境界を示し、それを跨ぐ私の作品がそこにはあります。



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