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制作、全バラし。


造形を組み始めるとその構造は複雑になって行く。それは決して悪いことではないと思う。ただ、全体のバランスが悪いので一度真っ白な状態にした。

やりたいことを詰め込む、組み合わせる、複合体。その考え、思考を嫌うわけではない。今回はちょっと演りすぎた。構成からの全体が掛け違いのボタンのようになってしまった。

パフォーマンスをする際、その場、その衣装、そのセリフを間違えてしまうと全体はとんでもない方向へと進んでしまう。いい方向に進めばそれは運がよかっただけ…そこまで狙ってやれれば一流か。百発百中とは行かない。悔しい。

新しいプランを練り始めた。スタディ模型などはない。必要ない。それは完成したプランではないので……そこでの言い訳は避けます。

「私はこれだけ考えました。」の自己満足はいらない。

ただちょっとそこに逃げたい気持ちを味わっているのは事実だけど。

そこを逃げ場にしても建築の今は変わらない気がする。素直に自分の実力を見せる。そのつもり。


壁とはなんなのか。建築とはなんなのか。そこから立ち上がる芸術の存在とは一体なんなのか。

私たちが多く触れ感じている床。それは身体、足裏との関係。

私たちがよく見ている壁、風景。それは目との関係。

ただ触れるという感覚、ただ見るという感覚。それだけではつまらないと身体は新たな刺激を欲している、そんな気がしている。

手元にあるべき情報が自分の手から離れて行く。それは風景との一体化を図っているかのように見える。

そこには手垢がびっしりと残っている。その痕跡が建築には必要。

それをかき消すテクニックもあるのだけど見える人には見えるといった具合。自然が自然に見えるのはよろしくない。自然がもっとも不自然に見えるべきで、人間の作ったものはより自然に見えるべき。

そして私たちにはその先が求められる。人間の作った自然をより自然に見える環境作りをする。ダンスで言えばそれはポップダンスになるだろうか。人間の作ったロボット、それを真似するアニメーションダンスのように。フィクッションの世界でみたあの建築を現実のものにする。フィクションとは、人間の想像の世界。想像の世界が自然に見える環境作り。ただ私はその先を見越してさらに建築を動かしたい。自然な不自然。


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