去年は”建築を捨ててしまえ。”と実はそんな自分と格闘した日々でした。自分の中で建築を学んだ、経験してきた歴史はもう必要なくなっているんじゃないか。そんな事を問う日々。新しい自分と向き合うこと。過去の自分と向き合うこと。そこに建築というフィルターがなくても自分はもう十分表現者として自立できるのではないか?と。
これが正直な気持ちです。
14才から建築に目覚めGA(建築雑誌)を見る日々。いつの間にか感動することを忘れてしまい
”あー新国立はやっぱりザハがやるべきだった”
”スタディ模型ばっかり見せるプレゼンなんて建築じゃないじゃん”
”建築って新しいこと何も提案できたないよね?ここ最近”
と愚痴ってみたり、すごく残念な自分がいました。
最近はそうでもない。
諦めではなくて、希望を含めて今の建築の状況を受け入れることができている。久しぶりに前向きな気持ちでいます。震災後の自分はどこかひねくれていて、日本の建築の無能さをバカにしていたし、建築の本も幼稚になってきたなと、哀れんでいた。でも今ならなんとなく理解できる。しょうがない、今の状況の中で新しいものを手に入れる勇気なんてどこからも湧いてこないだろうと。日本は真面目すぎるから。賢すぎるから。
僕はバカ。
だから建築の変化も、自分の変化もあんまり感じず無神経にここまできた。そしていざ振り返ってみるとあー僕の建築は大きく変わったな、日本の建築の素朴さはいいな、と。そんなことを思っている。
建築家としてデザイナーとして独立する同期も増えてきて、素直に成功してほしいと願っているし、何か一緒に仕事ができたら”最高”だ、なんてことを考える。
僕の建築は震災で大きく歪んでしまった。同期の建築はまっすぐ育っていった。ただそれだけのこと。もっともっとまっすぐに大きく太く育ってほしい。僕の分まで。
僕はすこしだけ違うアプローチをしてみることにするよ。
絵を描いたり、
ダンスしたり、
料理をしたり、
彫刻を作ったり、
いろんなことをして。
いつか建築に戻ってこれることを願っているよ。
僕の建築は歪んでしまったんだな。信頼できなくなってたんだな。
でもこれだけの活動を続けて、建築をいろんな角度から見てきて改めて建築は面白いなと思っているよ。
最近は身近な人たちに絵をプレゼントして回っている。その前はスマホリング。喜んでもらえるのがうれしくて。ただそれだけなんだけど、すごく幸せに感じる。
それが僕が建築で学んできこと。そう理解してもいいんじゃないかな。
空間が豊かになっていくことを心から願っているよ。それができるのは建築。そう思っている。
トムサックスのアートと建築のコンプレックス。
中山英之の建築の外枠を外した、クールな建築の展示。
MURAMASAの音楽とダンスとオーディエンスの枠からなる空間の膨張としての建築。
BLACKPINKとそのアイテムからなるツアー、その構築の行方。
jabberloopのジャズと反復の日々からなる日常。
ジュリアンオピーやベンエドマンズの絵画の拡張に触れ、建築も負けてられないと思います。Ako Honda、そのダンスのクオリティには身体と建築の誘惑が感じられます。
いつの間にか建築は拡張していってしまうようです。
どんどん変態な文章になりそうなのでここで区切りますが、やっぱり人と建築の歴史、関係は面白い。そこからなるものに注目していきたいし、その一部になれたらいいなとそう思っています。
今年もどうぞよろしくお願いします。少し酔っ払いながらですが今年はじめのブログを書かせていただきました。
時間のある時にでも見てください。
僕は僕らしく前進します。これからも建築よろしくお願いします。
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