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執筆者の写真Gaku Sakura

大きさの住宅2。現代建築作家


悩み中。「大きさの建物」だったらそんなに悩む事はなかったのかも。「大きさの住宅」これは難しい。

だから自分の住宅を見てみようと思う。

まず書斎はTSUTAYAか青山ブックセンターかiMac。

風呂は亜細亜旅情温泉月ノホタルか熊本東区上南部3-○-○か渋谷区西原2-○-○にある。

廊下は結構刺激的で、コムデギャルソンのセットアップとJulien Davidのゴアブーツ、代々木上原から銀座までの定期PASMO。あと大半はユニクロのソックス。

一部の千代田線と銀座線は私の住宅な訳で……

キッチン、もしくは冷蔵庫はローソンとセブン。

寝室は友達のベッドか自分のベッドか東横インのベッドがある場所。

そうPharmakonというBody Architecture身につけてればそこは私の建築です。だから難しい。

岩川幸揮 a.k.a. Gaku Sakura.一人ギルバート&ジョージ。

“Living Sculpture”ならぬ“Living Architecture”なわけで。

熊本県民の家は間違いなく熊本城と鶴屋と阿蘇と天草だし。蜂楽饅頭はおふくろの味。好きとか嫌いとかの話じゃない。

スカイツリーはリビングの一部。あの街もこの街も、私の住宅の一部。私の住宅は限りなく大きく、深く、広い。液晶の中にまで広がっている。

だから住宅はつまらない。どこでも自分のモノのようだし、そのスペースに他者を入れないように自分は行動している。窮屈さを感じることはない。建物を信用することはもう辞めた。だから衣食住に寄り添えるなにかを探している。だからダンスや音楽は大切。映画やドラマは大切。友達は大切。家族がいなくなれば住宅はなくなる。いやなくなるというか必要なくなる。そこからの老人ホーム。これも家なら他人でも家を作ることは可能か。挨拶をすることもなく。記憶もなくなって。食事はまずい流動食か点滴か。廊下は車いすになって。同居人に金を払う。そんな住宅。

住宅はつまらない。縛り付けられる。拘束のドローイング9。

つまらないことを楽しむ。そうなりゃ結構こっちのもん。


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