top of page
執筆者の写真Gaku Sakura

学生時代。現代建築作家。


昨日は学校が嫌いだったなんて話をした。もちろんすげー嫌いだったけど学校行かなかった理由はそれだけじゃない。どうしても行けなかった。過敏性大腸炎っていう病気だった。今では過敏性腸症候群って言うらしい。朝から何度もトイレに行って。通学どころじゃなかった。

それに好きな子が同じクラスなのに毎回授業中に「トイレ行きたいです」なんて格好悪いでしょ。モテたいし。だったらカッコつけて、悪い振りして学校行かない方がモテそうでしょ?久しぶりに学校行ったら告白とかされたりしてね。そんな感じの方がまだましだと思った。中学2年生。忘れもしない。

野球の試合も守備が終わるごとにトイレに行く感じ。野球どころじゃないでしょ?けど行かなきゃヤバいし。だから、野球好きだったけど色々諦めた。小学校から野球選手目指してた。体すげー小さかったけど。一応、熊本県で2位。ピッチャーやって1番打者でキャプテンで。西日本大会いったら小学校の部活として出場してるのうちだけで。あと全部クラブチーム。うまい奴らの寄せ集め。これ無理じゃねって。だから親父は落胆したでしょうね。毎日一緒に走って、ピッチングしてバッティングセンター行く毎日だったから。今でも謝ることはできてない。するつもりもない。九州男児、言わなくても分かるでしょ?って。

でなぜか東京きたらパッと症状がなくなった。一回すごい我慢できなくなってすごい変なところでバスの運転手さんにお願いして降ろしてもらって……

青空の真下でってこともあったりなかったりしたような。

男の子はお腹が弱いわけです。牛乳なんて絶対飲まない。ピルクルも結構危ない。もちろんヤクルトも。

トイレ。

アドルフ・ロース。

自分の顔を飾りたてたい、そして自分の身の回りのものすべてに装飾を施したいというのは造形芸術の起源である。 しかし、それは美術の稚拙な表現ともいえる。芸術はすべてエロティックなものだ。 芸術とは、芸術家が自己の内部にどうしようもなく充満するものから解放されようとして、壁になぐり描きしたものである。 だが我々の時代で内なる衝動から壁にエロティックなシンボルを落書きするような者は犯罪者か変質者である。 人がそうした変質的な衝動にもっとも駆られるのは便所の中である。 となると一国の文化の程度は、便所の落書きの程度によって推し測ることができる。 子どもにあってはそれはごく自然なこと、このごく自然なことが近代人にとっては変質的行為になる。 つまり、文化の進化とは日常使用するものから装飾を除くということと同義である。

なんてことを言ったらしい。


だからトイレにはこの人の写真。きっとトイレットペーパー持ち出し禁止も犯罪。中学生の時、便所に落書きする余裕もなかったよ。冷や汗タラタラで。女子にモテたかったよ。あんたの言葉なんて俺には必要ないよ。芸術はきっとそんな単純じゃないよ。装飾もそんな単純じゃないよ。すべては建築らしいよ。文化の進化?誰も求めてなかったらどうすんだよ。装飾を除くことが文化の退化だったらどうすんだよ。今の建築どう思うよ。ロースさん。みんな無個性なアノニマスなものばっかだよ。それが進化なの?

                     Writing Architecture 14より


閲覧数:10回0件のコメント

最新記事

すべて表示

Comments


ロゴ-1.png
bottom of page