建築とは何か、と問い続けています。
本来建築には何が可能で何が不可能なのでしょうか。見当もつきません。だから建築を試しているのだと思います。
建築には似たような言葉で建物という言葉があります。違いは何でしょうか?芸術と美術のような違いでしょうか?
きっと建物と建築をうまく区別し、その関係性を断ち切ることは難しいのだと思います。これは僕の直感です。ただ接続と断絶を繰り返し、建物から違う建物へと建築が移動することは可能かもしれないと考えています。
このように建築を考えていくと建築がサーカスのテントや舞台のセットのようなものであると想像するかもしれません。
もしくは建築とは自動車である、なんて未来もあるのかもしれません。熊本地震の時には車で寝泊まりするのが当たり前な状況でした。
となると建築の自律性は本来保たれていないということになります。ユラユラしてるような感じでしょうか。しかし建築の専門家はこの建築の状態を公開しようとはしません。なぜでしょうか。興味がないのかもしれません。不思議です。面白いです。
僕はそろそろこの建築の状況を打開したいなと考えています。舞台を日常化したり、日常を舞台化することの可能性を楽しみたいです。建築家の作る未来の車があっても全然構いません。建築家の作ったブランドはより建物の性能を向上させるかもしれません。建物に冠を与えます。それは建築に歴史を与える方法なのかもしれません。
建築学が建物学になってしまってはダメだと思います。震災を経験した時に僕はそう思いました。もっと生き方を学ぶ必要があると思ったし、建築に適応力を、そして選択肢を増やさないといけないと思いました。建築作家として今僕がやろうとしていることはそういうことです。
この続きはまた書きます。
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