建築材料とはどんなものがあるのでしょうか。
木。
鉄。
コンクリート。
ガラス。などなど。
今回はこれからの建築材料について考えていこうと思います。ということで今までとは違った視点で建築の材料を見ていこうと思います。
その前に一つ。以前、未来の建築材料として仮想通貨は何か面白いことが起こせるのでは?と色々考えていましたがこちらは一旦考えを中止します。
形の無い情報に価値を見出すことに魅力を感じていたのですが、その価値を見誤ると多くの人を戸惑わせるのかも?と思いました。
赤瀬川原平の千円札裁判のような行為をする勇気が僕にはありません。
もう少し地味な方が僕にはあっているのかもしれません。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E5%86%86%E6%9C%AD%E8%A3%81%E5%88%A4
なんのためのルールでなんのための法律なのか僕はよくわかっていません。
学校に行く理由も。
会社に務める理由も。
上司に媚びを売る理由もわかりません。
建物を建てる理由も未だ見つけられていません。
ただ建築に関わっていたい。ただそれだけです。なので今後も可能性の1つとして考えますがもう少し時間を置きます。
http://architecturephoto.net/72076/
面白いなと思ってみていました。
建築と陶芸の融合とあります。
内包というべきなのか、コラボレーションといえばいいのかわかりません。
コンバインを目指すべきなのでは?と思いましたが二刀流という内容でも面白いのかもしれません。あとは空間の意味合いが未だ理解できていません。
隠された物語があるのかもしれません。
あとで考えてみようと思います。デザインで終わるか、アートとしてみるか。少し商業的な印象が強い気がするのは気のせいでしょうか。
工芸という建築。建築という工芸。建築をどう捉えていて、工芸をどう捉えているのか。
現状の建築=建物を捉えているように見えるそのスタイルにどこまで造形的な可能性が含まれるかが今後の課題にはなってきそうだなと思います。
コールハースはアニメを建築の材料として新たに構築しようとしているのかもしれません。
映像とアニメが入り混じる内容となっていますが、建築のフィクションとノンフィクションをごちゃ混ぜにすることで空想の体験をリアルなものにしている。のかもしれないと思いました。そしてそんな情報をすんなり解析できる自分がいます。漫画の国で育った恩恵とでもいうのでしょうか。
また人に何かを伝えようとする時、アニメーションが有効なものになっていることにいち早く気づき取り入れるスピード感は建築界の中では1番です。流石だと思います。
ただ建築界ではと強調しておかなくてはなりません。建築の流れは遅い。遅延遅延です。
重松象平さんは建物と料理の問題を同時に解決するような建築を目指しているようです。
頭のいい器用な建築家という印象。プレゼンもわかりやすいですし、着眼点も面白い。コールハースの右腕。
僕は建築家で料理人。
建物は作らない建築家、少し変わった建築家。いや建てるということを拒否しているし、そんな僕に建物を建ててほしいというクライアントはいない。
、、、。
つまり建物を建てるという才能がない建築家。
うるさいと言われ続けるほど喋りながら料理をする料理人。手も足も動けば口も動く。
和食→鉄板→焼肉の料理人。
野菜、肉を切り、飾り盛る料理人。
建物に味と香りと音を付け加える建築家。
パフォーマンスという建築。
料理人と建築家。建築家と料理人。
言葉を纏う建築、料理。
建築、料理という長い歴史があります。そこにどれだけ深く接続できるか。というのが今後の課題にはなってくるだろうと思います。
ANDREW KOVACS
https://o-k-o-k.net/
情報を再構築する建築家。
故に既存の情報を再利用する。リサイクル建築。
時に芸術をリサイクル。
時に子供のおもちゃをリサイクルする。
情報をリサイクルしたり、造形をリサイクルしたりするので効率がいいと思います。
また、何を扱うかによって何をリサイクルするかによって建築のスタイルが今後大きく変わる可能性もあり、要注目の建築家とだけは言っておきます。
そこに異なるスケールをぶつけて建築を解体、再構築しようとする試みをしていたり、、、
なんと幅を与える建築材料だろうかとそう思います。
自分たちの持つイメージがANDREW KOVACSによってどう生まれ変わるのか、楽しみです。
Mark Foster Gage
https://www.mfga.com
建築の装飾性が彼の建築材料なのかもしれません。
現代の建物に如何に装飾性を与えるか。
その装飾のイメージはゲームの中へと向かっていくようです。
つまりゲームの中の建築という印象が強いです。
ファイナルファンタジーの中の建物です。
キャラクターという装飾性を抽出したりもします。
そのゲームの中にいるような造形を持つ建築が現実に現れた時の可能性とは一体どういったものでしょうか。よりバーチャルなものと現実の混沌とした状況を生み出すでしょうか。
私たちはすんなり受け入れることができるでしょうか?
ゴシック建築のようなケバケバしさは華やかに映るでしょうか。
時に荒れ果てていて、時に幻想的であり、とても非現実的な建築だと思います。
がその装飾性は回帰するものでもあり、発展させるものでもある、という印象を受けます。
装飾としての彫刻、そのイメージが分断された時間の分だけ私たちには新たなイメージ、造形としての可能性が与えられます。あの時なかったものはコーラでしょうか。アイフォンでしょうか。インターネットでしょうか。仮想通貨でしょうか。
あの時なかったものが今あるという今をどう装飾してくれるのでしょうか。
建築から装飾性、その彫刻性?を復権させる手続きに注目です。主流からは除外されてきたこの歴史を再び建築に取り戻すことができるでしょうか。
その先には絵画がありそれもまた漫画と接続します。キャラクターやストーリーと接続します。宗教画を描くでしょうか。多分違うでしょう。
それは建築を中心にしたスーパーフラットです。
建築材料の可能性。それは物質的な物から別の何かに移行しているように思います。
触れることのできない素材である可能性が高いと私は考えています。
そして建築の成果物として建物を見るという今までの流れが必要ではなくなっていく、そんな状況でさえ生まれる可能性があるのではないかと思います。
それは現代の流れのなかで当然の結果です。図書館はインターネットへ。お金はクレジットカードへ。キャッシュレスへ。
美術館もインターネットへ?キャッシュレスは仮想通貨へ?
建物はどこへ?建築に回帰したあとはどこに定着するでしょうか?
留言