ずっとメモしていたことがまだあるので連投になりますがブログ更新します。
建築を見よう、建築を理解しようとするとそこには批評という問題が見えてきます。
建築を批評する時の批評軸は一体どこにある?といったような。
実は建築ってものすごく不透明で勝手に生み出されてしまったイメージのようなものなのかも・・・それは決して掴むことのできないもので。
造形に優れたもの。コンセプトに優れたもの。哲学的なもの。芸術的なもの。でもそれってある一定の人に対してのお話で、全ての人に言えるお話では決してなくて・・・スポーツの得点、勝敗という評価軸は建築には必要とされているものではなくて様々なヒエラルキーが垣間見えてくる。
そんな建築の今が建築家を囲って身動きできなくないものにしてしまう。それはなんかすっごく悪循環で。
クリスト、ジャンヌ=クロードはすごく好きな芸術家。包む芸術家なんて言われています。包むっていう簡単な行為。簡単ですがものすごい重労働。だってその包むものが大きすぎ。建物を包んだりしますからね。でもこれは現代という社会状況のなかから生まれた必然的建築であり芸術だと思います。評価する軸が見えないのならその対象を一旦覆い隠してしまえ!と言ったような。大切な人に渡すプレゼントなんかも包装紙で包んだりしますよね?あれって評価することを一時避けるという効果があります。そうすることで評価軸をずらそうとしたり、一時保留にしたり。それが自分たちに必要な時間であって・・・
私のなかでの建築は今ブルーシートに包まれています。建築を評価することを一時保留している状態です。そんな状況のなかで未来の建築について考えることが今は必要なのかなと思います。
もし今の建築に疑問を持った人がいるのなら、一旦建築を何かで包んでしまいましょう!きっと自分にしか見えない建築が見えてくるはずです。
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