architecturephoto.netnに平田晃久による「太田市美術館・図書館」を中心に、noiz・豊田啓介、平田事務所・外木裕子、阿野太一、藤本壮介、浅子佳英らが「建築をどう評価するか?」について行った議論のまとめ、がtogetter.comにあります。という記事を目にしました。
少し自分の考えがあるのでここに書いておこうと思います。
今現在、世界の建築と日本の建築の間には解消できそうもない隔たりのようなものがあります。震災以後の後遺症と言えばよいのかもしれませんがそれを言い訳にはできません。
最終的にはカタチとなる仕事です。そのカタチを見なければなりません。ではそのカタチとは一体なんでしょうか。建築のカタチをすこし説明できたらなと思います。
金沢21世紀美術館という建築があります。SANAAの作品ですが、果たして本当に名建築なのか?と問いかけてみます。
一般の人に聞くとだいたいレアンドロエルリッヒの名前はでてこなくてもプールの作品がある場所だ、ということは分かります。
それからSANAAのプロダクトですが、かわいいウサギさんの耳のようなイスがあるところですよね?といった返答があったりします。つまり金沢21世紀美術館との関係にある絵、彫刻、プロダクトなどが建築の評価を印象づけているということがわかると思います。一般の方からしたらこの枠(額縁)としての建物の効果はやはり枠(額縁)というわけです。絵画を見るとき額装がどうなっているか、彫刻を見る時にその台座はどうなっているかと見る人はどれほどいるでしょうか?簡単に言ってしまうと外見より中身が大事だ、ということです。
すべての建築評価の真相をこう言ってしまえば非常に簡単な学問となってしまいます。面白くもなんともなくなってしまいます。そうさせないためにも建築の世界には複雑な状況に人々を誘い込み、わかりずらくするためのイリュージョン(それは芸術でも同じ)を用意する必要がありました。
誰のもとで建築を学んだとか。どんな本を書いているかだとか。どんな人と繋がっているかだとか。直接建物の評価とは関係のないところまで……そんな関係性の評価こそが建築の評価だと言えるのだと思います。つまり建築の評価にとって建物の評価の影響は限りなく少ないということです。むしろ見えないくらい、意識しないぐらいがちょうどいいのだと思います。それはテートモダン等の建築にも同じ事が言えます。それから他の名建築でもそれは同じことです。
建築の評価はその建物との関係性に何を取り込めるかというのが最大のポイントになります。
例えば雑誌、「新建築」「GA」に掲載されたかどうかとか、何かの雑誌の表紙を飾ったとか。車やファッションの広告、漫画の背景にその建物が使われたとか。建築家の作った建物と建築家の作ったイスとの関係とか。建物と自然の関係とか。後は師匠との関係とか。
つまりその建物を作る上でどれだけのモノ、コトが連続的に発生したか?ということです。
そういった意味で言葉と共に建築が名建築に、建築家が名建築家になった例は数多くあります。
コルビジェのサヴォア邸は近代建築の五原則とLC2などのチェアと共に。ピロティ、屋上庭園、自由な平面、水平連続窓、自由な立面。
ミースファンデルローエは「Less is more.」「God is in the detail」という言葉とバルセロナ・パビリオン、バルセロナ・チェアと共に。
私が言いたいのは建物の評価は建築、建築家の評価とは大きく異なるということです。
[名建築家は多くの言葉を残します。イスを残します。芸術家と言われる人たちとのコラボレーションをします。ハイブランドとコラボレーションします。個展を開いて本を書きます。教授になります。]
いい建物を作る人は図面と模型と敷地を往復します。
やるべきことが大きく異なります。
どちらがいいということでもありません。が歴史に名を残したいのであればその方法を考えなくてはなりません。建築は絵や彫刻など色々なものを切り捨ててきました。それらの仕事を他の誰かに託しました。そう演出してみせました。が本質は変わっていません。そこに何があるのか?何を引き込むことができたか?何を巻き込むことができたのか?が重要な役割です。何度も言います。建築に建物という構造体は重要ではありません。
ハンスホラインの薬の作品の話しをよくしますが、そこには建築に対する良い裏切り(コンセプト)がありました。それは枠(額縁)という建物を取っ払ってしまった革新的な建築であるが故に全体としての建物(地球全体もしくは私たちの生活全体)を意識させるというちょっと複雑な構造を持っていました。そしてそれはつまり全ては建築であるということです。全ての建物に通ずる建築であったわけです。それは全てをハンスホラインの建築で覆ってしまう巨大でありながらもとても小さい作品でした。
しかし、これに対比する作品があまりないのが建築の歴史でした。対比されることで建築は成長します。スカイツリーと東京タワーみたいな関係です。
私はハンスホラインのノン・フィジカル・エンヴァイラメンタル・コントロール・キットという作品を世に建築作品として残すべきだと直感的に感じました。震災の直後だったことも大きく影響していたのかもしれません。
私のパフォーマンスは今の建築、そしてノン・フィジカル・エンヴァイラメンタル・コントロール・キットという作品と対比させるためにあります。小道具や広告と共に。
このブログのなかに建築のイリュージョンはあまりありません。それでいいと思っています。がこのパフォーマンスこそがイリュージョンであるということも言えるのかもしれません。
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