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執筆者の写真Gaku Sakura

建築を考える。

更新日:2021年12月18日

なんとなく久しぶりにこちらにブログを書こうと思う。

なぜかはわからない。

それでも私の日記として。

私の一部として。


ここにも建築は可能だろうか。。。


コロナの影響で私の生活は大きくではないものの変わった。

日常的につけるマスク。

周囲の人間もまったく同じである。

故に顔の重要性は薄い。本当の顔も知らないまま付き合う。仕事する。それはそれで心地いいとでも言えるのだから不気味でもある。


電車を使うのをやめた。今ではオートバイが私の移動手段である。

そして東京の建築を休日は見に出かけている。学生の頃より熱心に。

ある日常の中で起こった些細なことが爆発的増幅を呼び、異常となる出来事。


フジテレビを見て原広司を想像してしまう異常。

住宅建築の巨大化に見る公共建築の異常。

表参道がなぜか破廉恥に見えてしまう異常。

皇居の警察の多さを改めて実感し見えてくる異常。

日本という国にいながらピーターアイゼンマンの作品を見て感動し、ヘルツォーク&ド・ムーロンに喜び戯れるという異常。

sanaaはどこにいてもsanaaであるとして納得してしまう異常。


今では異常が心地いい。普通を忘れる日常は演じる舞台そのものである。


建築が今まで以上に建築らしく感じる。

今まで感じたこともないくらい。

人は建築に躊躇ったり、アルコール消毒したりして中へ入る。

触れることを拒絶するように少し怯えながら四角い箱に入っていく。

その中は危険の巣窟なのだろうか。

建築の中には何があるのか。


そこには歴史がある。

ものすごく巨大な情報がある。

今がある。

過去がある。


ただ未来がない。


それでは問題がある。


いつの頃からか失った未来。



なるべく早く取り戻したい。


それが異常な未来であったとしても。







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