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建築紹介12


今日は青木淳さん設計の表参道のヴィトンとMVRDV設計のgyreへ。

といっても目的は建物ではない。



ヤン・フードンとアニッシュカプーアの作品を観てきた。

ヤン・フードンの作品は映像が重なって、突き放されて、誘い込まれるといったような不思議な体験だった。別のアーティストの作品へと連結させるような素材の引用。その映像群は時と場を切り裂き、フリーズさせ、再結合を果たす。その編集作業は鑑賞者を別の場所へと誘うようなものだった。

人種を省き、文化を跨ぎ、時を意図的に動かそうとする?

私はその場から立ち去りたいと思った。というより立ち去るしかなかった。やはり、最期には突き放される。近寄らせてはもらえない、遠い距離感が絶えず”ここ”にある、といったような。

アニッシュカプーアの作品はおどろおどろしい?セクシャルな?女性に対する男性的な視点を思わせる作品がずらり?gyreの吹き抜けにあるインスタレーションは絡まりよじれた”へその緒”?

外は寒くなり、雨が降っていた。ここは女性の体内か。無風で雨はなく暖かい。が、外見は確か立派なゴツいゴリゴリの男性の姿であった。うーん、違和感。

キャンバスもしくは芸術という枠から抜け出す、もしくは拡張しようとする作風。故に建物との関係がどうしても切り離せなくなる。建築の存在がちらつく。白く塗りつぶされた場であればもう少し違った見方ができたのかもしれない。

黒く塗りつぶされた場であれば「ブラックボックス展」のように痴漢されたと女性は訴えるのだろうか。

ヴィトンのエレベーターが7Fに着く。ドアが開くとそこにはこんな写真があった。


ゲーリーの建物が浮いていた。これはイリュージョン?未来の建築?

何を建築家に求める?西海岸の自由さは建物をも浮かすのか?

日本の建築には持ち運べる、小ささが求められるのかもしれない?

それとも漫画、アニメ的な建築?

どこもかしこも映画の中のような、ゲームの中のような、漫画の中のような視界が広がってる。すべてバラバラに見えるものが混在していて。そこは時に魅力的にさえ見えるのに、私は”ここ”から眺めることしかできない。決して向こう側には行けない。

”ここ”と”向こう”の壁には建築家の言葉がずらりと落書きされている。

”すべては建築である”とか”住宅は住むための機械”であるとか。

私の建築の中で”あなたはあなた自身を演じます”。

という私の建築。

ここに建築は可能か?

というところで建築紹介12。

日本という場だからこそできる建築の歴史をご紹介。

犬のための家。


MVRDV設計。


妹島和世設計。


藤本壮介設計。


アトリエ・ワン設計。


坂 茂設計。


隈 研吾設計。


伊東豊雄設計。

どの犬も楽しそうではない。うれしそうではない。妹島和世さんの建築以外。

建築の未来が退屈そうに見える。窮屈に見える。

なぜか?

”ここ”しか見えない建築。”ここ”と”向こう”が見える建築。

その違いなのかもしれない。

ちなみにこんな本もある。


アトリエ・ワンの本。

海外の場合だとどうなるのか?その違いを体感する。


ザハ設計。


これもザハ。


そしてこれもザハ。


フランクゲーリー設計。


コープヒンメルブラウ設計。

建築のあり方は少しずつ変化している。その可能性をどこまで引き出すことができるのか?それを止めてしまっては未来の建築はない。残るのは建築を削り取られた建物だけだ。


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