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執筆者の写真Gaku Sakura

建築紹介6。


アンビルド建築について少し紹介をしておこうと思う。

アンビルド建築とは実際に建設されることのなかった建築のこと。

建築の世界以外では光を浴びることがあまりないアンビルド建築。しかしこのアンビルド建築こそ建築の未来である。

アンビルド建築から建築の歴史がどう動いているか、そしてそこから建築の未来を考えることができれば、と思っている。

アンビルドの女王。ザハハディッド。


1910年。ロシア・アヴァンギャルドという総合芸術運動。構成主義とシュプレマティスムを中心とした運動で、ザハ・ハディドやレム・コールハースなどデコンストラクティヴィズムの建築家に影響を与えた。


カジミール・マレーヴィチの作品。

昔は不可能と言われた彼女の建築も今では可能になっている。


新国立競技場、彼女に建築をしてほしかった。もっとも先進的な建築がこの日暗殺された。それがどういうことか……日本建築の未来。

磯崎新さんの追悼文。

彼女の内部にひそむ可能性として体現されていた〈建築〉の姿が消えたのだ。はかり知れない損失である。


コールハース。エクソダス、あるいは建築の自発的捕囚たち。という作品。

スーパースタジオの影響が見られる。


これがスーパースタジオ。

巨大な建築、メガストラクチュアが既存の都市と如何に調和可能か探求した作品。と言えば聞こえは良いが……。

ベルリンの壁のような建築。世界を区分していてる。それが地上で行なわれるか、空中で行なわれるか。ヒエラルキーの可視化。今の建築の状況を見やすくわかりやすく説明したようなプロジェクト。永遠に続く巨大な建築は人の行動を限定させる。建築が大きくなればなるほどに、建築が広がり続ければ続けるほどに。




フェリーターミナルのプロジェクトとモロッコのホテル会議センターのプロジェクト。私はコールハース最高の仕事はこの二つだと思っている。他の作品は別に大したことはない。(多くの場合)

建築には果たさなくてはならない役割がある。昔はその建築の役割が多く複雑であると思われていたが今ではとてもシンプルだ。それはその建築がある瞬間その場、その空間に彼自身の建築としてシンボリックなモノとして建っていられるかどうかということ。

この二つの作品はアンビルド建築であることでコールハースにとってシンボリックな建築であり続けている。そしてフェリーターミナルとしても、会議センターとしても……今はまだ……


そしてこれはY2K Houseというアンビルド建築。

このプロジェクトを巨大化して作った彼自身の作品がこれ。


建築に対する姿勢、その冷静な視線がある。まさにファック・コンテクスト。その場(周辺)のコンテクストなんて気にしていない。しかし、建築のコンテクストとしては新しい裏切りがある。ファック・コンテクストというコンテクスト。

そしてここから私はピーターアイゼンマンに目を向ける。彼を評価することは難しい。なぜか?彼のアンビルド建築を見てもらいたい。


ハウス・インメンドルフ。


マックス・レインハルド・ハウス。

ヘルツォーク&ド・ムーロンのテートモダンの新館。


とコールハースのCCTV。


この二つは比較的最近竣工した建物。彼の作品と非常に似ている。がこれはピーターアイゼンマンの作品ではなく、ヘルツォーク&ド・ムーロンそしてコールハースの建物なのだ。彼の存在は影になる。影を知らない建築学生が多くいる。そして彼自身の建築であったものは他の誰かのものになってしまう。彼はシンボリックさを失った。私は知っているが未来の建築家はこの二つの建築を失ってしまうだろう。

そんなことになってほしくはないが、現実はきびしい。

建築家として生き残ることは容易くない。

建築の未来はどうなるか。


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