建築姿
ART/ 建築
芸術と美術館
ここまでは近代以降、建築がどのように形作られ、発展してきたかを見てきた。
私たちが一般的に考える建築というのは現在も建物の設計の話である。
その中で私たちが気づき始めたのは建築と建物は現代ARTの誕生とともに全く別の”もの”になりつつあるということだ。
建築の可能性は建物との関係は保持しつつも建てるとは別の次元に移行し始めている。
それは建築家の言葉たちによって裏付けされてきた。
そして今私たちが直面している問題は建物をどう作るかではなくどう扱うかということになるのだろう。
それは震災やワールドトレードセンターのテロ、それから戦争によってより顕著になった。
現在、建物を建てることの意味は大抵の場合は人のためであり、政治のためそして権力のために利用される。
そこに建築という文化の可能性を求めるのなら建物との断絶が起きる可能性を捉えなくてはならない。
現代ARTと呼ばれる場所では芸術のための芸術が行われている。
ならば建築は芸術という領域の中で建築のための建築を実行しなくてはならない。
今現在、完全に抜け落ちてしまった”建築のための建築”を発見する旅に私たちは出かけなければならない。
そのような状況の中で建築家に与えられる役割とは一体どんなものであろうか、それを考えていきたいと思う。
建てることの終焉。
ここでのタイトルは建てることの終焉であるが結論から言うと建てることが終わることはない。が建築家は建てるということの意味を少しずつ失っていくことになるだろう。
建物のイメージはインターネットの普及とともに氾濫した。
その氾濫したものを整理することが建物のイメージをなんとか保つための方法となった。
実際、建築雑誌を覗くと世界中どこでも同じような建物が建てられていることに気付くことができるだろう。
つまり世界中の建築家が皆同じ建築を見て育ち、それらを編集、再構築してきた結果がこの建築雑誌には溢れているのである。
もうそれは空港だけの話ではなくなってしまっている。
それはジェネリックシティと呼ばれたりもするが実際ここで問題になるのは建物の問題ではない。問題となるのは建築家と呼ばれる人たちの役割の方である。
今後建物はイメージの整理をすることで構築することが可能になるのは間違いない。それだけの情報も容易に手に入れることができるようになった。
またこれからの未来はAIの発達により、設計することはより身近になるだろう。それはゲームの世界でもアニメの世界でも同時多発的に起こることになると予測する。
そこにあるのは偉大な建築家たちの亡霊のようなAIの姿であり、建物の情報は膨大に繁殖し建築を呑み込むだろう。そこに私たち建築家の姿はない。
私は建築家の姿を見つける旅をする。
そこで目にしたのは美術館という建築だ。
美術館は建築の世界を色濃く象徴する。
すなわち建築家の姿がくっきり見える世界だ。
そして美術館こそ世界の建築家の現在を色濃く映し出す鏡だと思っている。
1997年に開館したビルバオグッゲンハイムという美術館がある。これは建築家フランクゲーリーの作品だ。
一般的にデコンストラクションと言われる建築になるが、その複雑な構造は装飾性という問題を忘却させるかのようにして誕生した。
この美術館は当時最先端のCADを用いて設計され、今では20世紀を代表するもっとも有名な美術館の一つになっている。
チタニウムによるこの建物の外壁はキラキラと都市の光を纏いビルバオの街に完成した。
このシンボリックな建物はまさしくビルバオの街のシンボルになった。
この建物を見ようと世界中から多くの人々が訪れ、一つの建築が多くの利益を生みビルバオの街を世界的な観光都市へと変えたのである。
後にこのような建築のことをチャールズ・ジェンクスはアイコニックビルディングと名付けた。
そしてその後生まれた建築として注目すべき美術館は3つあると考える。
それがテートモダンとパラッツォ・グラッシそしてプンタ・デラ・ドガーナの再生計画である。
テートモダンは2000年に完成したイギリスにある国立の近現代美術館でヘルツォーク&ド・ムーロンによって設計された。
そしてパラッツォ・グラッシ、プンタ・デラ・ドガーナは時代的には少し後になるが安藤忠雄によって2006年と2009年にそれぞれ完成した美術館である。
この三つの美術館はリノベーションによって生み出された。
テートモダンは以前は発電所として利用されており、もとはジャイルズ・ギルバート・スコットによって設計されたものだ。
巨大な発電機のあったタービンホールはリノベーションされその特徴を生かし、巨大な展示空間となっている。
ここでオラファーエリアソンが展示したウェザープロジェクトは場の特性を生かしたインスタレーションとなり当時話題をさらった。
パラッツォ・グラッシとプンタ・デラ・ドガーナはアートコレクターのフランソワピノーの現代美術館である。
ともにベニスにありパラッツォ・グラッシは18世紀後半に建てられた新古典主義の邸館建築であり、そしてプンタ・デラ・ドガーナは15世紀に税関倉庫として用いられていた建物だ。
安藤忠雄はこの建物を現代の技術、素材を用いてリノベーションした。
そしてフランソワピノーと安藤忠雄の二人は再び2011年に今度はフランスでブルス・ド・コメルスという美術館をリノベーションしている。
ビルバオのアイコニックな建築からテートモダンやプンタ・デラ・ドガーナのリノベーションへの流れは建築に大きな影響を与え私たちの日常までやってくる。それが1990年代後半から2010年までの間で起こった建物の主な動向である。デコンストラクションのあとはリノベーションによる注目すべき建物が増えていき、ザハのポートハウスやヘルツォーク&ド・ムーロンのエルプフィルハーモニーなどが生まれた。しかしその後の建物に主要な動きは見られない。なぜならビルバオグッゲンハイム美術館やデートモダンを超える魅力的な美術館が生まれていないからである。世界のアーキテクチャーの中心は美術館にある。美術館を見れば建物の最新がわかる。
そのことから見えてくる日本の建築もあるはずだ。
それらの現象に注目して世界と日本の建築の動向を見てみたいと思う。
モダニズムの建築からデコンストラクションの建築まで。
デコンストラクションの建築は多くの場合、造形の問題や装飾性の問題にすり替えられてしまうが実際のところはこれらを施工するための技術的解決の方が重要であったと言える。
機能性と合理性を基に生まれたモダニズムの建築が技術の発達とともに如何に装飾性を獲得していくのか、それが建築の可能性だと捉えられていた。
コンピューターの発達により複雑な計算が可能になりザハ、コープヒンメルブラウのようなAAスクール出身の建築家たちが流線型の建築を世界に推し進めていった。
だがこの複雑な構造を手に入れたとしても未だ問題はあった。それは床と壁の問題である。
床は基本的にスロープになっているか、もしくは地面と水平に保たれていなければならない。
いくら複雑な構造が可能となっても床に手を加えることはほとんどの場合不可能であったのである。
そして壁に接するかたちで設置していたもの、そのほとんどが何かしらの加工を施さなくてはならなくなった。
デコンストラクションの建築は壁が垂直に立ち上がっていることは稀で何を設置するにしてもそれらを水平垂直に保つための工夫が必要になってしまったのである。
このデコンストラクションの建築によって生まれた事実、それは水平垂直の床と壁を現代の建物から完全に消し去ることは不可能である、ということだ。
そしてこれらの流線型の構造は私たちの生活の実用性からは遠く離れ、非日常的建築という言葉で彩られ価値を保持しようとした。
そんな構造自体を彫刻として変容させようとした建築家たちに与えられた大きな課題に対して磯崎新はこう発する。
阪神・淡路大震災以降”破壊された建物を見た衝撃のあとでは、デコンストラクションというファッションは終わったと言わざるを得ない”と。
その流れの後に注目を集めたのがリノベーションによる美術館だ。
デコンストラクションのようなアイコニックさはないものの、リノベ美術館は新旧の新たな技術の組み合わせによって建物の可能性を示す。
それは改修、保存だけに止まらず、旧空間とは異なる現代の技術の挿入によって建築史へのアクセスを可能にした。
既存の価値を補強しつつ、まったく別の価値へと変容させることに成功したのである。
都市のイメージを大きく変えることはない。がその都市の可能性を広げるための文化的価値をこの建物は保有するし蓄積していく。
本来の美術館のあり方として建築をうまく機能させているのはこのリノベーションによって生み出された美術館なのかもしれないと私は考えている。
なぜならそれは都市の歴史と建築の歴史が交差する場所にこそARTのコンテクストはうまく機能するからだ。
この状況からみて2000年代の建物にとっての歴史と、それ以前の建物とで歴史の捉え方に大きな違いが現れている。それがデコンストラクションとリノーベーションだ。ここで語られるリノベーションはスーパーフラットな他文化との歴史の共有であり、それらの関係性から見えてくる新たな場の創出であった。 ここで注目されるべきことは建物を構築するその全てを一新することではなく、現代の技術を過去の建物の中に表出させることでリノベーション建築の価値を見出すことにある。そして何より重要なのはそれらの歴史を私たち一人一人がどこまで拾い上げることができるかである。
リノベーションされた新たな建築は新たなオブジェクトを手に入れ、これまでとは異なる建築性を帯びることになるし、新たな建築への思考のきっかけになるはずだ。
それは目に見える歴史との対話になるだろうし、主体的な経験となる。
そして老朽化した建物はこの新たな技術が挿入されることによって再起動され、複数の歴史が同時に動き出す。
私たち自身の歴史とともに新たな歴史を刻む、そんな体験ができる建築がリノベーション美術館の特徴の一つだと言えるだろう。
そして現在私が注目している美術館建築はというとジェネリックシティ的構造に潜む美術館だ。
例えばそれは東京のオペラシティアートギャラリーや熊本現代美術館のような存在だ。
それはデコンストラクションの建築を拒絶した日本の建築の姿である。
これらの美術館は複合施設の中に組み込まれた美術館であり、故にファサードは消滅している。
つまりここに建築家の建築家らしい姿はない。もしくは見えづらくなっている。
これは作家性の消失を意味する。その主張を都市に飲み込ませるのである。
またこれらの状況は現代アートにも影響を与える現象になる。
これをジェネリックアートとでも呼べばよいのだろうか、つまりどこの都市にも似たようなアートが生まれる。
しかしこれらの美術館にはこれまでとは全く違う可能性を感じるのも確かだ。
それは建築の建物性からの離脱、もしくは建築家と建物との間に生じた亀裂のようなものを表出させ、訪れる人々に思考を企てるからだ。そしてそれは連動してアートにも起こり得る事象となる。
トムサックスという現代アーティストがいる。2019年に日本で行われたティーセレモニーは美術館とギャラリーを横断するように作品が展示された。言葉を変えると複数の場所に同時展開した展覧会が出現したのである。それはもっとも大きな東京の美術館となった。そんな新たな建築の客人として茶室に迎えられた私はジェネリックシティ的美術館の可能性を目撃した。
また同時期にギャラリー間という建築のギャラリーでは中山英之がCINE間という個展を開催した。こちらは建物と建築家との間に亀裂を生じさせたいい例だ。ここでは展示空間の中に新たな用途が出現したのである。それは仮設の薄っぺらい映画館ではなかった。そこにはトムサックス同様に建物の中に新たな建築が生み出されていた。本来の鑑賞するという場の意味に体験をも含む新たな建築を構築したのだ。それはジェネリック的美術館、ギャラリーではないと効果が薄かったのだと思われる。これらの建築はジェネリックな空間であったが故に成功したいい例となるだろう。
今、私たちが注目すべき状況はデコンからリノベ、そしてジェネリックへと移行しつつファーサード建築から内部建築へと移行しているように見える。
それは特別な体験を求めるこれまでの美術館とは異なり日常の中に溶け込む新たな建築の姿だ。そのようなジェネリック的美術館はARTの敷居をスーパーフラットなものにしたがる傾向にあるのかもしれない。もしくはそのようなスタンスを都市にアピールする。そんな状況の中で現代アートと建築、その二つがどのような関係を持ち、場を構成するのかその可能性をこれからさらに見ていきたいと思う。
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