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岩川 幸揮

新建築論#5

更新日:11月13日

建築使


"建築のART性とARTの建築性"


 ここからは建築のART性と芸術の建築性に焦点をあてて作品を観ていきたい。

ここで私が求めるのは建築性とART性が交わる領域を認識することであり、またそこから現代建築のコンテクストを解読することである。建築の歴史と現代ARTの歴史が入り混じるこの場所で新たな"モノコト"が起こる場を注視し、美術館との関係性に注目していきたい。



ハンスホライン,ノンフィジカルエンバイラメンタルコントロールキット(1967)


 ノンフィジカルエンバイラメンタルコントロールキットは一錠の薬だ。

この作品を服用することで患者の環境が改善される、その状況そのものが建築であると示したハンスホラインの作品だ。

この作品は建築を建物の設計から切り離すことによって建築概念の拡張を図った。

この作品の注目すべき点は建築が薬となることで流動性を確保していることにあり、また建築が建物との新たな関係性を構築しようと試みている点である。

そしてなにより身体の内側から建築を試みているという点においてこれまでの建築とは異なる新な可能性を感じる。

建築における衣食住の関係は重要とされてはいるものの、この関係性をうまく構築している建築家はほとんどいない。いつだって建築家は建物に依存しているように見えるし、その関係性を改めて問うこともしない。そのような状況の中でハンスホラインが示した建築への問いは建物の中に建築することは可能かということと、体の内側から建築することは可能かという2つのことである。それは食と住から行う新たな建築の姿であった。


 建築家が美術館などに展示をする場合できるのは大抵、図面と模型とテキストとイメージの展示だ。そしてそれと同時に本が出版されたりする。

それはつまり”1つと3つの椅子”のようなコンセプチュアルな建築の姿だ。

しかし、ここには問題がある。

それは主体となる鑑賞者がこの展示方法に違和感を感じることはなく、作品について思考しようとはしないことだ。もしその関係性に疑問を抱き思考したとしても発展は望めない。

なぜなら如何なる建築家も皆同じ構成で建築を展示しようとするからだ。それは近代建築から現在に至るまで変わりなく続いている。鑑賞者の鑑賞方法は定式化されているのである。

つまり展示される建築は常に図面を見て、模型を見て、テキストを読むことで完結してしまう。しかしこのような状況の中で展示の意味、可能性を問う建築家はほとんどいない。

建築の場合、展示の方法はいつも同じで考えるための場ではなく、見て想像することからその建物を理解するという手順を踏む。この理解とは展示された建物が鑑賞者にとって好きか嫌いかという2つの選択に振り分けられるだけだ。

実際のところ建築家が展示で行っていることは未来のクライアントにプレゼンテーションしているに過ぎない。

しかし、ノンフィジカルエンバイラメンタルコントロールキットの意味はそれらの展示とは大きく異なる。

それはこの作品自体が建物の中に存在できる建築であることを示し、私たちの薬になると同時に展示空間、建築においての薬にもなるということだ。

建築はこのままではいけないと、そして建物の設計とは切り離されたアンビルドな建築を私たちに突きつけてくる。

それは建築の液状化とともに訪れる新たな建築の姿である。




アーキグラム(1961~1971)


 アーキグラムは前衛建築集団であり、そして彼らが作った雑誌の名前でもある。

彼らは建物を作ることはほとんどなく、ドローイングを建築作品とした。

アーキグラムにとっての敷地は通常とは異なる場所にあり、建築が土地に定着するというあり方それ自体を問おうとする。

雑誌を建築の敷地にしたこともそうであるがそのプラン一つ一つにも同じことが言える。

例えばインスタントシティの敷地は空中にありながら地上にもある。上と下から同時に建築し都市を構築する仮設の街である。飛行船とトレーラーによって運搬される流動的都市とでも言えばよいだろうか。

ウォーキングシティはまさしく歩く都市であり地球全体が敷地になる。

プラグインシティはメガスストラクチャーに組み替え可能なユニットが取り付けられるような構造になっていて建築の姿が変容していく建物だ。

しかしこのプラグインシティにおいてもっとも注目されるべきはこのメガストラクチャーではなく、組み替え可能な流動性を持つユニットの方である。

ハンスホラインが建物内部に建築を試みるのに対してアーキグラムは建物それ自体を大胆に動かそうとする。

1960年あたりに見られる建築の動向とは敷地を一つにしないための流動的な場所を建築が求めることだ。

それが体内であったり、道や海や空だったりする。

それは芸術との関係性をより親密に広域に展開させるために機能する建築である。

ここに建築として絵画や彫刻との新たな関係性を想像することができるのではないだろうか。

つまりそれは環境と歴史と芸術のハプニングを意図する

美術館内部に潜むための戦略ではなく美術館自体を動かそうとする。

そして動く建築がこれまでの建築のコンテクストに地殻変動を起こすのである。




荒川修作と天命反転住宅(2005)


 ARTが美術館から逃れようとするとき建築というARTが建物に求めるものは天命反転住宅のような姿になるのだろうか。

ARTの価値はそのほとんどが定着しないまま流動性を保っている。

その価値に一定の評価を与えるのが美術館である。

そんな美術館とARTの関係を切り離した場合、 その価値基準はどこに存在するようになるのだろうか。

現在の状況から観察するとそれはインフルエンサーのような存在になるのかもしれない。

わかりやすい数字を持つことの意味がARTにうまく機能するのかは疑う必要があるが流行が一つの価値にはなるのは間違いない。

流行の価値は常に不安定であり続けるわけで、となれば天命反転住宅が置かれている環境というのは非常に厳しい場であると言える。

ある瞬間急に注目を得たかと思うと瞬く間に忘れ去れてしまう、そんな環境だ。

そのような状況に自身の作品を置いてまで得たかったものとはなんだろうか。

実際ARTが日常に理解されることは難しい。

それはARTにおけるコンテクストと建物におけるコンテクストの質が異なるからだ。

ARTのコンテクストは歴史によるものだが、建物のコンテクストは大抵の場合、周辺環境によるものだ。

それはX軸とY軸からなるコンテクストのようで環境の変化が幾度も起こり複雑にそして繊細にできている。そのような環境の中でのARTの立ち振る舞いは困難を極めるのである。

現代ARTは歴史の中で思考することを促すわけだが、天命反転住宅は社会の中で体験を促し私たち人間の生を模索する。

そして価値を消費してしまうことの流れに身を委ねながら天命反転住宅それ自体の生きるをも模索するのである。芸術性を纏うことによってその価値の消費を最小に止めようとする。

日常の中に現れた違和感としてその差異をファーサードの極彩色が表明する。

また機能と合理性はモダニズムのそれとは違うカタチで身体に機能する。

それは建物と公園の遊具が生活のシュチュエーションに同時に入り込むような空間で生活に複雑な身体性が与えられる。

そのような体験が豊かさに繋がるかは疑問である。

しかしながらここで生きることは消費の波に立ち向かおうとする姿のように映るし、戦っているように見える。




マークフォスターゲージ


 美術館は脱構築主義からリノベーション、そしてジェネリックな美術館へと姿を変えてきた。

その流れの中でマークフォスターゲージのヘルシンキグッゲンハイム美術館のプランを私たちはどのように理解することができるだろうか。

アッサンブラージュ的に装飾を施された建築はファッションを纏うかのようにその建物性を覆い隠す。

そのような装飾で獲得するのは神秘的なSFの世界だ。

それはTVゲームやマンガの世界のものとして見ることだけで全てが完結してしまう。

この先の体験を想像しづらいのがこの建築の欠点なのかもしれない。

実際、この装飾性は建物性とともに私たちの身体性をも覆い隠してしまう。

それは実際この建築がアンビルドだからなのかもしれないし、仮想性の強いものだからなのかもしれない。

建物はより視覚的になり、私たちの身体はキャラクター化する。

そこにはリアルなものがない、というより必要ない。

必要なのはその視覚的なものを視覚的なものとして捉えるだけの世界で匂いや味はない。

音に雑音という概念はなくなるだろうし、皆が皆同じ音を発するような、決まり切った音だけが存在する。

予め不穏なものをオブジェクトとしてかき集めるアッサンブラージュは変化を拒絶しているようでもある。そんなことを想像するのが容易い建築になってしまってはいないだろうか。

しかし問題は他にもあるようで、結局のところ建築の意味は何も変わっておらず、利用されるために建物の機能(美術館)が取り付けられる。

そこから私たちの想像を超えてこの装飾が機能することはないし、注目はこの建築の施工の問題へと切り替わる。この装飾は3Dプリンターを用いて施工するのだろうか、そのコストはどれくらいのものになるのだろうかと。

そしてそれは絵画にとっての写真、彫刻にとっての3Dプリンター、建築にとってのAIの存在、そこにまつわる作家性の問題を現前化させる。

つまりここまでがワンセットでこの建築は建築として機能する。

見た目の複雑さを解決する脱構築主義の時に見られた技術の発展が進むべき建築の未来を見据えている。そしてここにネオハイテク建築が表出するのである。つまり新たなテクノロジーを建物の外部へと排出する建築なのである。




クリスト&ジャンヌ=クロード

 

 マークフォスターゲージがファッションのように装飾を纏うのに対して、クリスト&ジャンヌ=クロードはまさに布で建物を覆う。

そこには似たような作業が行われるものの結果は大きく異なるものとなる。

マークフォスターゲージの建築が装飾を纏うのは建物性を隠すことが目的であったりする。

そして何より変更できない永続的な装飾を纏う。それは建物のための刺青のようなものだ。

それに対して、クリスト&ジャンヌ=クロードは一時的に建物を布で梱包する。

いや梱包ではなく包装と呼ぶほうがいいのだろう。

梱包とはいわば荷造りのようなもので物流の移動と保管のために行われるものであるが、それに対して包装は所有者の変更が行われその相手に対する好意を示すものである。

クリスト&ジャンヌ=クロードの作品はその意味で包装に近いと言えるだろう。

包装することで日常の建物を特別なものにしてしまう人々へのプレゼントのような作品である。

そしてその包装が解かれた時、その建物は以前とは異なる意味をもって再び日常の中に溶け込むことになる

それはその建物の意味を再構築することによって生まれるARTとしての建築の新しい姿だ。

私たちはその包装されていた布を見てARTの意味を問い、建物の姿を見て建築の意味を問うのである。




レイチェルホワイトリード


 建築家は空間を開こうとするのに対してレイチェルホワイトリードという彫刻家は空間を閉じ、建築に公共性を与えようとする。

現代の建築家にとって内と外の関係を曖昧にすることは重要なテーマだ。

しかし彼女の作品はそのような状況にある建築が持っている内と外の関係を壊すことから始める。

解体予定の建物の内部に石工を流し込み、型抜きすることで空間を物質化する。

そして建築内部をトレースしそれをそのままファサード化するのである。

つまり建築の内部が外部となり、空間は消滅する。

このシリーズはゴーストと名付けられ、これまでここにあったはずの空間は物質として変換され記録として残る。

ここで理解することと言えば建物はいずれ壊されるということと、建築の内部空間はパブリックな性質を持とうとはしておらず常に何かを隠そうとすることである。

それ故建築家は建物に公共性を求め、外と内の関係を曖昧なものにしようと計画するし、それを目指す。

ガラスに可能性を求めて多用することもあるがそれでもこの分断を避けるまでには至っていない。

それは庇や軒、縁側なども同じ状況にあり、曖昧になりつつはあるもののむしろかえってそれらの関係性を強調させているようでもある。

しかし、もし建築がARTであるとするのならばこの関係は当然解体しなくてはならない。

建築がARTである限りプライバシーを放棄し公共性を獲得しなければならない。

またはそのような状況を作り出す流動性こそが必要と言えるだろう。

ゴーストという作品は建物の記録としてその内部空間を失う代わりに内を外へと反転し、公共性を獲得する。

それは建築のファサードそれ自体が建築になるという証明にも繋がり内部空間を放棄することによりARTは都市に目を向ける。




ストリートアートと建築


 都市に目を向けた時見えてくるものは建物のファサードとそこに設置された無数の看板や広告たちだ。

そこから少し目をずらせば落書きやステッカーが散りばめられていることを確認することができるだろう。

私たちの目に映る都市は空白を嫌うようで自由という状態を避けようとする。

人の流れに逆らうような状態は避けようとするし、人が長蛇の列を作れば当然そこにはさらに人が集まる。

都市に空白はほとんど見当たらない。

空白が見つけられた場合そこはすぐさま駐車場や喫煙所になり自販機が置かれベンチが設置される。

空白があまりにもないものだから都市は新陳代謝して建物はスクラップアンドビルドされる。

そんな都市の中で自由を叫ぶのがグラフィティアートと呼ばれるものなのかもしれない。


 都市の中での生活はどこもかしこも人の手が加えられた人工的なものだ。

その一つ一つが誰かの所有物であってそれらは私たちのものでは決してない。

そのような都市の中では建築は建物にではなくストリートアートに依存する。

その中でも私が注目するのはタギングと呼ばれるもので個人もしくは集団のマークを都市の中でスプレーなどを用いいて描く行為だ。

彼らは誰かの所有物に自らのタグを描き続ける。

それは都市が誰のためにあるのかを問うものである。

つまり建物のファサードとは誰のためにあるのかを。

このタギングという行為は彼らの行動の軌跡ではなく、都市の中で流動化する建築の姿そのものである。

そして私たちは少しずつ理解するのである。

永遠に都市は私たちのものにはならないことを。

そして私たちには何の選択権も与えられてはいないということを。




バンクシーとKAWS

 二人のアーティストの出自は紛れもなくストリートであった。しかし彼らの活動はストリートにとどまるものではなく、その勢いは美術館の中にまで押し寄せた。

ストリートにゲリラ的に設置されたカルバンクラインのポスターもネズミの落書きもその目標は建築の内部だった。若者たちはこのストリートアートをクールだとし、ファッションやフィギュアといった領域までその価値を拡張させていく。

ストリートアートとはなにやら面白いものらしく、壁に描かれるとその壁は都市の中の価値として大事に保管されたりする。下手をすると壁をきれいにくり抜きオークション会場へと持ち運ばれるのだからその価値は計り知れない可能性を秘めている。

たまに清掃員が誤って消してしまうことでnewsにもなるのだからその都市での行為、その意味は解体されている。本来それを落書きと、犯罪の落胤を押されるはずの行為はアーティストの価値によって破壊され価値となりお金になる。

そしてそんなストリートアートを一目見ようと若者が大勢集まるようになるし、それを商売にしようとする大人も現れる。

 ストリートアートは資本の力に飲み込まれやすい。しかしそれを嫌っているようではなく、むしろ楽しんでいるように見える。

ストリートアートとは建築の副産物だ。建築のあるところにそれはある。

それはラスコーの洞窟やアルタミラの洞窟のように人が生きた証である。

しかしそれでも違いを上げるとするのならば建築は常に解体される運命にあることである。

故にストリートアーティストたちは都市に作品を描き続ける。

自分の作品が建築とともに解体されることを知っていながら抵抗を続けるのである。

建築家と同じように似た作品を何度も何度も作り続ける。

そして自らの存在を都市の中に刻みながら、私たちは一つの真実に辿り着く。

それらの行為、ストリートアートは建物の解体を常に示唆しているのである。




ラスコーの洞窟


 ラスコーやアルタミラにある壁画を私たちはどのように理解するべきだろうか。

建築における原初体験は洞窟なのかもしれないと私は考える。

そうすると石上純也の洞窟のようなレストランもビャルネ・メーステンブロークとクリスチャン・ミュラーのヴィラヴァルスのような土に埋まった建物のことも理解ができる。

私たちの生活の始まりは火とともにあり、どのような場所であってもその場は建築化することになる。

そこが人間の建てた建物である必要はない。

必要なのは人が生きる場と料理と着るものと絵と彫刻である。

それが過去の建築の姿だと捉えられてもここでは差し支えない。

なぜなら建築の本来の仕事とは建物の設計のことではなく場の構築における術のことだからだ。

すなわちどう作るかではなく、その空間に何を持ち込むか、の方が重要なのである。

そして現代では建物を作ることより建物をどう扱うかということの方が建築としての意味合いが強い。

それは建物が建築に与える影響の減少が原因である。

つまり空間の進化はモダニズム以降ほぼほぼ起こっていない、ということだ。

壁と床と天井で構成する建物は建築に対して今ではほとんど何も貢献していないと言っていいだろう。

キッチンの設置も風呂の設置も建築家の効果は非常に薄い。そしてもちろんクローゼットも。

モダニズム以降、特に日本においては絵画や彫刻の設置に建築は重要ではなくなってしまっているように見える。

それはホワイトキューブやミニマムアートの文脈で語られる建築の歴史の一例というだけで終わってしまう。

実際、モダニズムの建築家たちはそれと引き換えに家具を作ったことは言うまでもないだろう。

つまり、今の建築に置いて明らかに欠けているものはARTと呼ばれる絵画や彫刻などを内包する芸術としての空間であり、建築について思考する建築である。

 絵画や彫刻は今でも私たちの生活の一部である。

建築がARTを排除することはあり得ない。しかし、建築家はこの絵画や彫刻との可能性を追求しようとする動きはない。

むしろ建築家は建物の設計が仕事と割り切っているような状態ですらある。

それでは当然ながら建築が芸術性を帯びることはないし、ART史に触れることのない建物で終わってしまう。

そこにある建物に価値の創出はない。

色と物と事が空間にどのような意味を持ってそこに起こるのか、その意味を芸術の歴史の中で提示することが建築である。

そしてその始まりは現在も記録として残る壁画のある洞窟としての建築である。

それは火とともに。衣類とともに。そして私たちの生活とともにある。

洞窟から発展してきた私たちの建築という歴史に次に付け加えられる考えるための歴史とは一体どのようなどのようなものなのだろうか。




火と芸術と建築


 火を使い料理して観客に食べてもらう。

そんなARTがある。

リクリットティラバーニャはタイ出身のアーティストだ。移住を繰り返した彼は自らのソウルフードである屋台料理を世界中の人々に振る舞う。といえば彼はタイの料理人になってしまうだろう。しかしその振る舞う場所が美術館であるなら話は別だ。

見ることを通して考えることが本来の現代ARTのあり方であり美術館のあり方となる。

しかし彼はそんな場所に料理を用いて味と匂いを持ち込んだ。これは大袈裟ではなく革命だったと私は思う。ARTとは何かを観て、考えるものだ。しかし彼の作品は体験を通じて人のエネルギーを作る。実際ものづくりの中でも料理は特殊だ。

人が作ったものを自らの体内に放り込むのだからそれは他のものづくりとは明らかに違う。

料理という行為は身体のカタチを作る仕事だ。料理という行為はARTの始まりの場所なのだ。そしてその場のことを建築という。

人のカタチを作り、ARTの魂となる料理の部屋。ARTと建築のある場所には食がなくてはならない。これは彼の料理がARTになったのではない。あくまでそこで行われる体験とその記録がARTになったのである。そして私たちの体の内側にその作品の一部が持ち込まれたことを忘れてはならない。新たな建築はこうやって始まるのである。




火と電気

 

 現代では火は電気へととって変えられる。

部屋を明るくするために火を灯す必要はなくなってしまったし、料理をするためのガスコンロはIHクッキングヒーターへと姿を変えた。

そんな時代のARTにはダンフレヴィンの作品を紹介しなくてはならない。

ダンフレヴィンの作品に用いられるのは光だ。光を表現するのではなく光そのものを素材にする。彼が用いる蛍光灯は私たちの生活にも馴染みのあるものだ。

ここでの違いを建物的に答えるとするとそれが天井に設置されているか壁に設置されているかの違いだろう。そして光を均等に照らそうとする建物に対して彼の光のARTは光自体が何かの意味を持つような集合体として存在する。それらの光の配置に空間はより複雑に濃淡を得ていくここで気付かされるのは絵画のように展示されたその蛍光灯の集合体が空間に与える影響である。

彼の作品が美術館やギャラリーに展示される際多くの場合その場の照明は消されている。

そして彼の作品の光だけが空間を照らす。

普段の展示室よりも多少暗くったって問題はない。

問題なのはダンフレヴィンの光のARTが建物自体に備えられていた機能を一つ奪ったことである。ARTが光を作り出すのなら建物にとっての光の重要性は極端に低下する。

それが機能的かどうかは建築にとってそれほど重要ではない。

光がARTに発現したことで建築の流動化は容易になったと言える

そして私たちの生活のあちこちに張り巡らされているように存在する電気こそが現代のARTにおける新素材となった。




蔡國強と火の影、痕跡


 火を扱う私たちの生活は建築の始まりである。

そして火を使うことこそが人のカタチを作り出してきたと言っても過言ではない。しかし不思議ではあるがそんな火を扱うARTは実はそんなに多くない。

私が知っているのは蔡國強。中国出身である彼の作品には火薬が用いられる。

それは彼の出自に関係しているだろうことは容易に想像できるわけだが作品には花火や爆竹が使われる。

中国では祭りや祝い事の際に爆竹は欠かせない物であり、幸福を呼ぶものとされている。火薬を用いてその痕跡をキャンバスに残したり、インスタレーションでド派手な演出をする。色を捨て絵画を描く方法とし火の痕跡を使い、日常に違和感を与えるように巨大な音と強烈な香りを都市にばら撒く。しかしそれは幸せを願う中国の人々の痕跡であり歴史の記憶でもある。それは火が電気に変わった後の時代ではより重要なARTとなることを蔡國強は理解していたのだろう。今私たちの生活の中で火をみることはほとんどない。そんな火を保存する方法としてARTは機能し続けている。




建築の芸術性、そして衣食住


 クリスト&ジャンヌ=クロードの包装された建物は建築にとっての衣だった。

そしてリクリットティラヴァーニャの屋台はもちろん建築にとっての食である。

そこから次に考えるのは住のことについてである。

私がここで捉えるのは芸術家の住う場所、地域についてである。

国際的にも有名な芸術家たちは自らの時代と出自を同時に歴史化しようと試みる。

TOKYOでは村上隆がスーパーフラットなマンガのようなART作品を発表するし、

NYにはジェフクーンズのようなキッチュなプードルのバルーンの彫刻がある。

THAでは屋台のパッタイがARTになるし、FRでは建物にでさえファッションを定着させそれがARTになる。

私たちの住は国際的な目に晒されるしその目に映るARTがその国の文化となる。

表現者は自らの住に表現の源泉を探す。表現者の住には必ずなにかしらの意味があり、未来という歴史の種子がある。その種子を焼こうが煮ようが、土に埋めて育てようが、何か別のものに利用したって構わない。ただ私たちはこの種子をなにかのモノコトが起こるきっかけにしようとする。

住とは言い換えてみれば私たちの歴史そのものである。その歴史が未来の衣、食へと影響を与えそれぞれの関係性を結ぶ。建築から見る衣食住とARTの関係性はこの歴史の構造にある。

そしてそれは言い換えると建築の構造とは衣食住に纏わるART史そのものだと言えるだろう。




衣食住のART史


 建築の構造とは構造力学の話ではない。構造力学は建物の構造の話であり決して建築の構造と混同して語ってはいけない。

建築の構造とは衣食住のART史のことである。

しかしそれはマリリンモンローのポスターの話ではないし、キャンベルスープ缶の話ではない。

これはアンディウォーホルの絵画の話であるし、その絵画のある空間の話である。

そしてシュプリームの洋服を見てバーバラクルーガーを知り、カレンダーの日付を見て河原温を思い出す。

また時計を見てフェリックスゴンザレストレスの作品を思い出し恋人のことを想うのである。建築の構造は日常に浸透する生活の話ではなく、ART史における日常への影響の話である。つまりART史に接触できる建築でなければその強度を出すことはできないし、建築を語ることもできない。そのような意味でもっとも簡単にこの条件を満たすことができる建物がある、それが美術館である。

展示すること、保管することを目的として与えられたその建物はどのようなカタチであったとしても建築の強度は強くなる。その空間が真っ白い四角い空間であったら尚更である。

そしてその次にこの条件を満たすことができるのがARTを販売するギャラリーという空間ではないだろうか。

だが私たちの建築史においてこのギャラリーが注目されることは決して多くない。

それはなぜだろうか。

考えられる原因はギャラリーがテナントビルの一画にすっぽり入ってしまうホワイトキューブだからである。

ここに建築の問題が潜む。

本来もっとも建築の強度を出しやすい環境にあるはずのこの空間に建築がほとんど関与することができていない。それは何故か。答えは簡単でギャラリーという建築は新築建物的構造を今ではほとんど求めていないからである。

例えばギャラリーは歴史ある建物をリノベーションし内部をホワイトキューブにして運営していたりする。これは前述したとおりである。日本には銭湯をリノベしたギャラリーがある。

芸術は歴史を扱う上で構造上特別な内部空間、例えば巨大なスパンのある倉庫や大浴場を求める。それは空間としての魅力となるし建物の歴史も相まって作品の価値を高める。そのような相乗効果が期待できる。そのようなコンテクストをギャラリーは求めている。つまり新築の建物はほとんどの場合蚊帳の外なのだ。

私たちがここで唯一できることといえばまさしく白い空間を用意することである。

それが建築家と呼ばれる人たちができる唯一の建築なのであろうか。私たちは今この建築を問わなければならない。そして現代ARTの時代に求められる現代建築のあり方を発見しなくてはならない。

それが建築の向かうべき未来である。

私たちは今という衣食住のあるARTの歴史からどのような建築的行動が求められているのだろうか。それを問い直さなければならない。

 私が今言えることは建築家は美術館を設計することではなく美術館という空間の中に侵入しなければならないということ。

もしくは美術館の中に美術館を作るべきであり、都市を作るべきであるということだ。

現代建築は美術館の内部を敷地に建築史を捉えるべきなのである。




ロバートスミッソンと生の記録


 ロバートスミッソンの作品は衣食住の先にある表現と記録の話になる。彼の作品には野外で制作されるものがいくつかある。その中でも特に有名な作品がスパイラルジェッティである。一般的にランドアートやアースワークと言われるものだ。これらのARTは自然と共に生きるように存在する。この作品は当然自然の影響を受けるし、自然の力に浸食され姿形を変える。いずれ消えてなくなることも作品の一部として受け入れる。ロバートスミッソンのこの作品は生の記録を行いながら死を照射する。ARTの世界の中で美術館が保管や保存を行うなかで死を受け入れる態度をとり、あらためてARTのためのARTとして、ARTの死を表現する。

彼の作品はART作品と美術館との間にこれまでにない関係性、距離感を生み出した。その結果美術館はそのような状況の中で新たな作品を保存、保管する方法を受け入れる。つまりスパイラルジェッティの写真という記録が一つのART作品となり美術館に展示され保管されることとなった。

写真はARTになり得るか、ということ以前に記録写真をARTとして提出したことの価値は非常に大きい。

その結果、作品の所在は不透明なものになった。つまりこのART作品は美術館に記録(写真)のARTとして存在するのか、それとも制作されたサイトスペシフィックな場所にこそ存在する作品なのか。そのような美術館とサイトスペシフィックな場を複雑に曖昧に紡ぎながら場所性の拡張を図ることこそがこの作品の最大の特徴であると私は考える。スパイラルジェッティはアメリカにありながらも世界を旅することを可能にした。

そして彼らは自然と建築の間に"拡張された場における彫刻"を作り出したのである。


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