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新建築論 #2

更新日:13 時間前

建築視

建築学場



 日本には数多くの建築系の学科が存在している。

工学部や理工学部の建築学科。家政学部や生活環境学部の建築学科。そして美術学部やデザイン学部、造形学部などの建築学科。理系、文系、芸術系と三つの領域に分かれて建築学科は存在している。 

 欧米では建築学科は建築学部と独立している場合が多い。そうでなければ芸術学部に属することになる。イギリスでは測量技師の仕事から発展したのが建築家という立場だったため工学部に分類されている。日本が欧米の文化を導入した近代以降の建築は技術者=工学部、芸術家=芸術系に振り分けられた。文系の建築学科には近代以降発達した家政学があり、衣食住といった人の営みを軸に研究、教育が行われた。


 この建築学の成り立ちにおいて重要なことは繰り返すことになるが、やはり建築は欧米から導入されたものだということだ。

そしてこの建築という言葉もそのような状況の中で半ば強引に使い始められた言葉だと言っていい。故にこの建築という言葉はものすごく曖昧に形成されている。

 例えば建築と建物の違いについてである。建築家と呼ばれる人たちもこの辺はかなり曖昧に言葉を使う。大抵の場合、建築家はこの建物という言葉をあまり使いたがらない。その理由はきっと価値に基づくものである。ここに建築として語るものと建物として語られるものの間で価値の差が生まれる。つまり建築というARTには利便性、機能性とは異なる、物差しでは測ることのできない価値があると、その価値の上乗せを行いたいのだ。

しかし今の建築がARTであり、また工学でもあるというような都合のいい関係性のなかで得られる上乗せできる価値などあり得るのだろうか。

ましてや日本建築が属するはずべき場所が欧米のARTについてのものなのか、それとも日本の芸術、アートについてのものなのかも不透明なままである。

 それでも日本の建築を学ぶ場のほとんどが工学部にあるのはなぜか。工学部で学ぶ建築のART性?芸術性?とは一体どのようなものなのだろうか。


 果たして本当に、ここに建築は可能なのだろうか。


 建築は本当に使い勝手のいい言葉に成り下がっている。そしてその根っこにあるARTはさらに使い勝手がいいものとなり日本ではアートと呼ばれている。

アートネイチャー、アート引っ越しセンター、、、。ART=芸術=アートと同じ意味のはずなのに単純に=で結ぶことのできないこの現状。

 教育には根深い問題が潜んでいる。それは日本画と西洋画の関係性のように現れる。

これはメディウムの違いだけでは片付けられない問題になっている。

実際日本画と西洋画は分断されていて、その価値基準はまったく異なるものだ。日本画は西洋画とは別の文化に属しているのである。故に作品が同時に美術館に展示されることはほとんどない。それはあったとしてもその違いを見せることが重要なだけであり日本の芸術と世界のARTという対比に使われるだけだ。日本画と西洋画は決して並列して扱われるものではない。なぜならここには共通のコンテクストがないからである。

 

 日本画が未だ学問として存在していること、これを建築の世界に置き換えるとそれは造家学科が未だ建築学科とは別に存在しているようなものである。

つまり日本画とはグローバルなARTとは断絶された日本における日本の芸術なのである。

もちろんその傾向は徐々になくなろうとしているし、その日本画がいずれ世界の最先端になる可能性もある。そのことをここで語ることはしないが、今現状わかっていることはやはり現在のARTの中心は未だ欧米にあるということだ。そのような状況のなかで日本のARTと芸術は混在しているのである。

そしてその派生のカタチである建築はより一層複雑にそして曖昧なものとなり存在しているといっていい。理系、文系、芸術系と学びの領域が広いもののそれぞれの学術的な違いも未だよくわからない。都合よく工学として建物の高機能、ハイテクを謳うこともあれば、芸術としてその美しさをもってそれを建築と呼び、他の建物との差別化を図ることもある。

 

 私たちの扱う建築の問題は建築学の始まりの場所からすでに構築されている。そして私たちは改めて問わなければならない。

私たちが学んできた建築学がどれほど建築と呼べるものだったのだろうか、と。




建築、ART、変動したコンテクスト。



 建築という言葉は1897年に生まれたものだった。私が知るARTの歴史において事件が起きたのは1917年。ちょうど建築が生まれた20年後のことである。

これはNYのアンデパンダン展にR.Muttと著名した男性用便器の作品が出展されようとした事件である。

 芸術家の名前はマルセルデュシャン。現代ARTにおいて欠かすことのできない芸術家の名前である。この芸術家が発表した泉という作品はARTの歴史を大きく変えた。

美的伝統とは距離を取り、ARTの概念や制度自体を問い直したこの作品が現代ARTの出発点となった。

 建築がARTであるならばこの現代ARTの始まりは無視することができない。

なぜなら建築がARTとともに発展していくためにはこの現代ARTと言われる新たなコンテクストを共有しなければならないし、そうでなければ建築のART性とは見せかけのような過去のもので終わってしまうからだ。本来建築がARTという領域にあるものだとするのならば、ARTの変化はそのまま建築の変化へとつながるはずである。それは本来地続きの敷地の上に構築されなければならないものたちであったはずだ。

しかし実際の建築史を振り返ってみるとこの建築の起場の曖昧さが原因なのか現代ARTからの影響を受けはしたが建築は期待できるほどの効果を構築することができなかった。

 

 例えばリレーショナルアートやスーパーフラットなどの概念が建築に及ぼす影響についてである。リレーショナルアートが建築家に与えた影響として注目されるのは建築家集団アセンブルだ。アセンブルは芸術家、建築家、デザイナーなどを中心に構成されイギリスの建築家集団である。

 地域住民との関係性の中で作り上げるその作品たちは自分たちだけのものではなく、関係性の中から表出した地域とのコラボレーション作品だ。そこではイギリスという場でリレーショナルアートとアーキテクチャーの繊細な相互関係を構築しコンテクストの共有が起こった。そこにオーバーラップされた活動の痕跡として芸術の賞であるターナー賞が与えられたのである。

 しかし、これを日本の建築界がピックアップすることはほとんどなかったと言って良いいし、また若手の建築家や学生たちがこの表現のさらなる可能性を追求しようとする動きはほとんど見られなかった。これはコンテンポラリーアートと建築の断絶の歴史が起こす動作不良のようなものだ。もしくはリレーショナルアートと呼ばれる概念自体が日本的ではなかったからだと結論するべきなのかもしれない。もしそうであるならばインターナショナルスタイルの建築はなぜ日本に浸透したのだろうか、と疑問を持つことになる。そこでの結末はやはり現代アート以前と以後でARTにおけるコンテクストの変動が起こっていたからだと結論づけられてしまうのである。そしてその変動に建築は対応できなかったのだ。


 インターナショナルスタイル、近代建築の途中で起こったARTの地殻変動が建築にこのような現象を引き起こしている。どちらにせよ建築とARTが連動することは日本にとって困難な状況であったことは間違いない。それはスーパーフラットという概念にも同じ事が言える。 

 スーパーフラットは日本産の現代ART概念だ。にも関わらず建築との連動はほとんどない。少しだけ語られるのはSANAAとの関係だろうか。

 SANAAの有名建築の一つとして金沢21世紀美術館がある。大きな円の中に大小様々な四角い空間が配置されている美術館である。ここでのスーパーフラットとは何かというとそれは正面の消失である。

それをファサードの消失と捉えることもできるし、市民へのART解放(ヒエラルキーの消失)と取ることもできる。

それは村上隆の漫画と西洋絵画とのヒエラルキーを取り払うこのスーパーフラットの概念を建築へと落とし込んだものとなっている。またSANAAが作り出す建物が全体的に平面的な構成をしているが故にスーパーフラットと言われることもある。が彼らの作る建物のスラブは分厚いままだ。彼らはそれを細くしようと努めるがそこにスーパーフラットが表出することは現状ありえない。SANAAがこのスーパーフラットを理解しながら建築しARTの構築を図ったのかは不明である。そしてSANAA以外の建築家たちがこれらの概念を取り入れようとした痕跡を私はまだ知らない。

 もっとも問題視しているのは若手の建築家や建築学生が取り入れたのはSANAAの建物の形だけであったということだ。その後の建築家たちはSANAA的建築を作り出してはきたものの、金沢21世紀美術館をART的文脈で読み解こうとはしなかったし、もちろんそこから発展させられるカタチを模索することもなかった

形のアプロプリエーションはあったもののコンテクストのアプロプリエーションは起こらず、その建物たちのART性は欠落していった。それはとても簡単に操作された建物の編集作業に止まったのである。


 スーパーフラットの漫画から絵画への発展、その延長線上に見えてくるフィギアやぬいぐるみの彫刻化。それらが引き起こすARTのアニメ化。

それからデザインにおいてハイブランドや有名アーティストたちとのコラボレーション。

そのようなスーパーフラットを日本の建築家たちが体現していないことを見るとその断絶は明白であったといえる。私たちの足元にある日本のPOPを建築家たちのほとんどは素通りしたのである。


 現代ART以後の建築のあるべき姿とは美的伝統のある建築を過去のものに、建築の概念や制度を問い直すことだ。現代建築のあり方とはこういう問いを発するべきものでなければならない。それを公共の建物で行うことは傲慢であるという否定すら聞こえてくるようではあるが要点はそこではない。なぜなら建築は建築であり建物ではないからだ。では日本建築は今このような問題に向き合いながら建築という歴史を構築できているのだろうか。その状況を考察する前にマルセルデュシャンについて私なりに彼の作品を言語化しておこうと思う。


 このマルセルデュシャンの泉という作品はレディメイドと言われる。レディメイドとは英語で既製品を意味する。それではこのレディメイドとはいかなる概念芸術なのだろうか。そしてこの泉(便器)という作品は一体なんだったのだろうか。

 まず彼はこの便器を横に置き本来持っていたはずの機能を剥ぎとった。便器をただのオブジェクトにしたのである。そしてオリジナリティと呼ばれるものの所以を不透明なものした。この作品はデュシャンのものでありながら、しかしこの便器を作った制作者は別に存在する。それでは一体この作品は誰に帰属するものなのだろうかと。

実際彼が作家性を示しているのはこの便器を選択し、サインを書き残しアンデパンダン展に持ち込もうとしたことだけである。そして芸術の一回生を否定し、自ら作ることをほぼほぼ拒絶した。


 彼がしたことをまとめると

1,便器を選び横にしたこと。

2,R.Muttと署名したこと。

3,アンデパンダン展に持ち込んだこと。(芸術が展示される場所に展示したこと、しようとしたこと)である。


 これが現代ARTの始まりとなった。ここでは同時に建築もARTと同様に地殻変動が起こるはずだった。しかし残念ながらこの地殻変動の中で建築はそれに対応できず取り残され、古典的芸術の芸術性しか獲得することができなかったのである。




建築界のマルセルデュシャン。



 モダニズムの三大巨匠と呼ばれる、コルビジェ 、ミース、ライト。

近代建築が日本の建築の始まりだとするならこの3人の巨匠たちは日本建築のマルセルデュシャンである。

彼らの歴史こそが日本建築の基礎である。

 では彼らは建築という世界に何をあたえたのだろうか。そしてどんな問いを生み出したのだろうか。少し考えてみたいと思う。彼らの建築を語る上で欠かせないのは実は建物の話ではない。彼らにはそれぞれサヴォア邸やファンズワース邸、落水荘など名建築と呼ばれる作品がある。しかし私は学生のころ一つの疑問を抱いていた。


”これは本当に価値のある建築なのだろうか。”と。


 今、私は建築の歴史に喧嘩を売っているわけではない。それほどにこの3人の巨匠についての評価は高い。それはアーキテクチャーという世界でも建築という世界でも等しく評価は高いものだと言える。がその評価はもう一度精査されるべきだ。私は今でもこの3人は近代建築の巨匠であると考える。(アーキテクチャーではない)がその理由は少し違う。


 サヴォア邸は建築を学び始めた学生にとっては非常に理解しづらいものだろう。

これが世界的に有名なサヴォア邸という建築だ、と授業で教わる訳だが素人目線で見てそんなに美しいものではない。

ロンシャンの礼拝堂もそうであるがコルビジェの建築は基本的に美しくない。

黄金比を愛した建築家と言われたりもするがその比率(モデュロール)が平面から立体になりその空間を体験し、私たちの視界に入るころにはその比率はきっと有効ではなくなっているからだ。それを身体的な感覚だけで語ろうとするには建築の情報は膨大であると言えるし、視野が邪魔になるのである。もし視野にもこのモデュロールが有効であるとするならコルビジェの建築はもっと美しいはずなのである。もしそれでもモデュロールは有効であるとするならモデュロールの使い方を見直した方がいいのかもしれない。コルビジェのモデュロールは建物の計画の始まりや建物の機能と身体の関係性においては有効かもしれないがおそらく空間美には機能しない。内部空間においても同様に空間全体が間延びしているし、視覚的雑音が多い。

 サヴォア邸は日本的に言ってインスタ映えはしなさそうだし、住みたいと思えるようなきれいな住宅ではない。が、美しさが建築にとってもはや重要ではなくなっていることは先に語っておかなくてはならないだろう。前述したとおり現代建築とは概念や制度そのものを問い直すことが重要なのである。故にコルビジェの価値は別のところにあると想像することは容易いのではないだろうか。

 

 ミースやライトの建築のプロポーションは美しい。雑誌の表紙を飾りそうな作品たちである。モダニズムを突き進めるミースと、空間構成とマテリアルの扱いに長けるライト。

がこれらの建築を学んだところで学生たちにはきっとあまり意味がない。なぜなら彼らの代表作の周辺環境はあまりにも恵まれているからだ。

 つまり建築の操作を大きく間違えない限り大抵は美しく見えてしまう。それほどに周辺環境の魅力が大きい。建物と周辺環境のコントラストをうまく見せてはいるもののそれを建築の価値だと言ってしまうのは早計である。

 これを実現しようとすればそれは別荘建築以外ではほぼ不可能である。それを建築学生がトレースすることには意味があるだろう。しかしその建築が機能する環境は極端に限られてしまうのだ。これを建築学とするのであればモダニズム建築とはものすごく狭い世界の話になってしまう。そのような建築をただ評価するような単純な世界ではないと私は考える。つまり3人の巨匠が巨匠である理由はこの建物とは別のところにあると想像するのである。


 


 建築人生の中で3つほど見えてきたことがある。



 1つ目は彼らの空間が様々なオブジェクトによって覆い隠されているということだ。

それは自然というものに覆われるようなカタチで建物があるということもそうであるが内部空間にもそれが見てとれる。このモダニズムという四角い内部空間にはその空白を埋めるためのオブジェクトが設置されている。それはコルビジェ 、ミース、ライト、そして歴史に名を残す建築家ほとんどに同じことが言えるのだ。


 そのオブジェクトとは家具である。


 彼らは家具を製作した。そして彼らの名建築には自らが作ったとされる名家具が配置されている。それは近代建築の空間を埋めるかのように配置されている。それは柱や窓の配置と同等の意味を持つかのように。

 近代建築とは建物と家具の設計が合わさることで一つの建築になる。そして建物の価値を家具が担保する。建物はその家具を保管する箱となるのである。ではなぜ有名建築家たちはこの家具に価値を見出したのだろうか。

 それは端的に言って動く価値を作り出せるからである。建築にとって建物を土地に定着させることは時代とともに足かせになりうることが容易に想像できたからである。これは想像に過ぎないのであるが彼らの中での戦争体験がこのような思考に向かわせたのではないだろうかと私は考えている。つまり私の震災の経験と同様に建物は決して安心、安全な場所ではなくなってしまっていたということではないだろうか。

 またモダニズム建築の単調と呼べてしまうようなその四角い空間に変化を与える上で、動かすことのできる変化をもたらすことのできる建築としての家具は非常に有効なオブジェクトであった。

 実際サヴォア邸もファンズワース邸も落水荘も土地に定着していて移動はできない。これは絶対だ。がしかし、椅子を移動させることはできる。建築の一部として。

今では世界中の人々がこの椅子に座ることで重要な建築の歴史を共有するのである。

“これがサヴォア邸に置いてあったLC2か、そしてこれがLC4か“と。

私たちの頭にイメージされるサヴォア邸の映像がここに生まれる。それは落水荘やファンズワース邸にも同じことが言える。


 1927年にヴァイセンホーフ ジードルング というドイツの実験住宅のプロジェクトがあった。この当時コルビジェ以外の参加者たちは建築として建物だけでなく家具の設計もしたそうである。その中にはマルセルブロイヤーの名前もある。

 これは建築の可能性を追求するその実験のなかで椅子の重要性に着目した建築家たちがその当時多くいたことを示している。

 そんな中コルビジェは椅子の設計を行ってはいなかったのだ。

しかしその翌年1928年にコルビジェはLCシリーズを発表することになる。

1927年の出来事をコルビジェがどう捉えたのかはわからない。が近代建築における椅子の重要性に気づいたのではないだろうかと推測することは容易い。近代建築が排した装飾性、この空間における装飾性を家具を用いて建築に持ち込み、建築空間に変化を与えることはできないだろうかと。

 そしてそれは現代の建築家たちにも同様のことが言える。SANAA、ゲーリー、ザハ。これから建築史に名を残すであろう建築家たちはこの近代建築からのその可能性を引き継ぎ探っている。つまり建築とは建物の話ではないのかもしれない、それは建物に纏わる話であると。そのうえで家具は重要な役割を果たしているはずであると。




 2つ目は美術館、博物館を作ることだ。


これは美術館、博物館を設計することとは少し異なる。もちろん設計することは非常に価値のあることである。実際、この3人の巨匠は美術館の設計を行っている。

コルビジェは日本の国立西洋美術館。ミースはドイツのノイエ・ナショナルギャラリー。こちらはデイヴィッド・チッパーフィールド・アーキテクツによって最近修復されていたりもする。そしてライトはアメリカのグッゲンハイム美術館である。どれも国を代表とする美術館である。が言いたいのはそこではない。


 ここでは建築家が美術館を内側から作る展示方法に注目していきたい。


 建築家が美術館に作品を展示する場合においても家具はとても重要な役割を担っている。

これは一つの体験装置である。家具は名建築の一部を擬似体験するものである。建築家のための展示が行われた場合、私たちは美術館に持ち込まれた彼らの椅子に座り、その照明の明かりを感じ彼らの模型や図面、パースを見ながらここにはない建物を想像するのである。

 ここでの展示は椅子に座ることが目的ではない。そこに模型があり、図面があり写真がある、そこにARTと呼ばれる建築の姿があることが重要なのである。それは模型、図面が建設のために利用されるものではなく観るものとしてオブジェクト化されることが重要である。

 デュシャンの話で触れたとおり、建築において作品を美術館に如何に展示することができるかが何より重要なのである。それがリアルであればリアルであるほどいい。それは図面であり、模型であり、写真ということになるが、家具は唯一それらの中で体験できるものだ。残念ながらそこに建物はないのである。

つまり家具という建築はARTを基にする建築にとって非常に有効な存在であると言える。

そしてこの時代の建築は不動産としての価値ではなく、動産としての価値を見出したと言えるのだろう。ここに着目したのがこの3人の巨匠たちである。


 次に空間としての美術館に注目してみようと思う。

近代化がART、建築に大きな影響を与えたことは言うまでもない。

ARTではレディメイドやPOPといったこれまでとは異なるテーマの表現が生まれ、建築は装飾性を排除し工業製品を用いるようになった。

 そうなるとその時代のART作品を保管する美術館が必要になった。それはその時代を体現する建物だ。それは既存の美術館ではダメなのである。その時代を反映し、将来その時代を過去の歴史として体験してもらうための美術館が必要になる。

人の生活、そして建築が大きく変わるとその変化に応じて美術館はその都度必要になってくるし、その都度姿を変えなければならない。3人の巨匠に求められたのは近代という時代の変化を保管する役割のある近代美術館(建物)だったのである。

 

 1927年に開館したニューヨーク近代美術館に導入されたホワイトキューブ。言葉のとおり真っ白な空間である。ありとあらゆる作品に柔軟に対応するための白い空間。これはインターナショナルスタイルの究極の姿である。またすべてのものから一定の距離のある空間で、誰のものでもない空間。それはただ世界中の人々のためにある空間。故にここに展示されたものは最新の全人類のための芸術となる。

 これほど高尚な空間は他にはない、というイリュージョンである。

 

 便器を持ち込むことさえできればそれはARTになる。そう見える。

だから私たちはその作品の意味を理解したいと思うし、読み解こうとする。私でも作れそうなんて言葉が聞こえてくるものの、その意味を作りだした初めてのアーティストには決してなれない。それでは現代ARTとしての意味はほとんどないのである。つまり価値がない。

現代アートとは技術の修練ではない。今ある何かに違いを見出せる概念が必要だ。これが現代アートというものの性質であり、今ARTの歴史に接続するための方法になっている。

 故に現代ARTがこのホワイトキューブという空間を手放すことはない。

しかし仮の話だが、ホワイトキューブの住宅があったとしよう。その中に置かれた全てのものが現代ARTになるかと問われればもちろんそれは現代ARTにはなれない。ここにどんな違いがあるのかと言われたらそこに関わる人々と建築用途としての違いだということになるだろう。つまりこのホワイトキューブという概念も美術館の中だから機能するものであって日常に機能するものではないのである。

館長がいてキュレーターと呼ばれる人がいて、開館閉館の時間があって入場料がある。作品を作る人、設置する人、環境を作る人、そこを訪れる人。そこには様々な人が関わる。そのような関係の場の中でないとホワイトキューブは機能しない。つまり重要なものはホワイトキューブではない。それは一種の演出のようなものだと理解してほしい。


 三人の巨匠が設計してきた美術館は前述した通りその時代による変化の中で求められてきたものだ。つまりモダニズム、ポストモダニズムと経験してきた私たちに今後求められる美術館というのは当然全く違うものになる。美術館としての建物の姿はないかもしれないし、そもそも美術館の意味自体が変更されている可能性だってある。しかし美術館を作るといった場合それは箱を作ることばかりではなく、美術館を現代に適したカタチで再構築することが求められる。これこそが建築の重要な役割なのである。

 それは未来を想像し、コンセプトを描き、”もの”と”こと”を起こす場所となること。

それは模型かもしれないし、図面かもしれない、それは椅子かもしれないし、照明かもしれない。それはもっと違った”こと”になるのかもしれない。

 

 今のところそれを表現する”ものこと”のことをオブジェクトと呼ぶことにしておこう。


 建築の始まりからちょっとずつ紐解いて見てきた建築の歴史。

そのなかで建築が少しずつ建物の話ではないかもしれないと気づき始めた人もいるかもしれない。それは産業革命の話だったし。装飾の話だったし、政治の話であったし、生きる場所についての話であったし、大きな歴史の場でもあった。

 ここでの建築は何かのオブジェクトに表現を頼りながら歴史の構築に貢献し続けている。その中で見えてきた美術館という場所の可能性に彼ら3人の巨匠は注目した。

近代建築が見出してきたオブジェクトは新素材、新技術への挑戦であり、それは必然的に建物と家具に影響を及ぼした。それらを歴史化するためにも建築には動産という価値が必要だったのである。

 これらのこと全てが近代という時代の美術館を構築するための方法だった。

この類稀ない努力の歴史が建築となる。

彼らは建築の歴史化には美術館という機能が必要だと考え、建築を設計し、その内部に展示できるオブジェクトとしての模型や図面、家具を選択したのである。




 3つ目は本を書き、言葉を残すこと、である。


巨匠であれば誰かに本を書かれるようなことは多いだろう。弟子であったり研究者であったり。だが何より重要なことは自分で書くこと、である。そこにはそれぞれの建築理論が現れるし、評価とは別の次元で建築を語ることが求められる。評価という結果としての文章ではなく、建築を始める上での文章が必要になる。

 それはコールハースだってベンチューリだって磯崎新だって同じことである。

そしてそれはゲルハルトリヒターでも村上隆でももちろんウォーホルでも、である。

 

 建築というのは建物の話ではない。それは少しずつ明らかになっていく一つの真実である。私たちは今ここで何か建築というただぼんやりとしているものの輪郭を捉え始めているのかもしれない。

 そこで本について語る前にこの建築を含むARTと呼ばれる領域に置いての言葉、文字、イメージとの関係性をまず見ていこうと思う。現代アートという歴史が始まって100年くらいになる。その100年でARTはコンセプチュアルなものになった。

芸術には概念が必要となり、それは芸術が終わった後のアート、なんて呼ばれたりもする。

そのような状況の中で生まれた作品の中に、”1つと3つの椅子”という作品がある。

 この作品を少しだけ紹介しておきたいと思う。

これはジョセフコスースによる初期の作品である。この作品の構成は左から実寸のサイズに合わせて作られた巨大な椅子の写真、実際の椅子、テキストとして椅子の定義が記されたものが展示されている。


 椅子の定義についてwebで調べると検索の結果として次ような回答が得られる。

木製、鋼製等使用材料にかかわらず作業又は休息のために腰を掛けたり、座ったりすること等を主たる目的として使用するもので、背もたれ、肘掛け又は脚等の有無にかかわらず座面を有するものをいう。

ということらしい。


この”1つと3つの椅子”という作品について建築的に少し考えてみたいと思う。


 まず考えるのは私たちがこの作品を直接見る必要性についてである。

この作品の構成、そしてそのイメージを知っていれば何処にいてもこの作品のことを考えることができてしまう。考えることが現代アートならば実際にこの作品を直接観る必要はなくその作品の存在を知っていればいい。考えることさえできればそれは別にパソコンの画像でもいいし、図書館の本の中でも問題はない。

 それは逆説的に美術館という場の重要性を問うことになる。

つまり美術館の中で展示された実績がなにより重要だということだ。そこに持ち運ぶことができたか否かがこの作品の価値を担う。美術館という空間の中に作品があった証明としての写真がなければならないのだ。実際に日常でこの作品を見たところで私たちはこれが現代アートだとは認識できないだろう。もしかするとこの作品を私たちはゴミとして扱ってしまうかもしれない。

現代美術館という建物の役割は作品について考える場所を提供するのと同時に、それらの関係性を担保する場でもある。この作品は結果的に美術館という場の重要性を表すのである。


 またこの展示されている作品は全て椅子なのだがどれも椅子とは呼べないものだ。展示されている椅子の写真やテキストに私たちは当然座ることができない。例えそれが椅子のように見えたとしても、椅子について書かれていたとしてもである。

これは椅子というものの特徴を示しているだけで、決して椅子ではない。そしてこの中央に設置されている実際の椅子でさえこれは椅子とは呼べないものである。

なぜなら美術館に展示されるものは大抵の場合触れるという行為自体が禁じられているからである。つまりこの美術館という場所に設置されることによってこの椅子に座るという機能は剥奪されオブジェクト化する。これはマルセルデュシャンの泉でも説明した現代アートの重要な作業工程の一つだと言える。

 これを私たちは椅子と呼ぶことができるのだろうか。椅子を示すものではあるもののそれを正式に椅子と呼ぶことはできない。私たちはこのような状態にあるオブジェクト、そしてそれらの関係性から生まれるあらゆる事象のことをARTと呼んだりしている。

 私はこの作品の画像をみることによって椅子とは何かを考えると同時に芸術作品のあり方を問う。例えばこの椅子の写真は別にこの椅子のイメージでなくてもいいのではないか。

そして実際の椅子も別の椅子で代用ができるし、テキストだって私が今ここで書くこともできる。つまりこの作品の作品性とは初めから存在していないに等しいのではないか。それは美術館に展示された時の椅子の機能と同じように。

 実際現代ARTの場はこの身近にある椅子というものを通して、そのものの持つ本来の価値を解体してみせる。そしてイメージとテキストと場所性の変化によって剥奪された機能との関係性をもって芸術としての場をも同時に解体するのである。

 つまり美術館という場の意味を変更するための手続きとしてこの作品は存在しているのである。ここでもっとも重要なのは見ることから考えることへとシフトチェンジした新たな美術館の姿である。そしてそのためにテキストとイメージとオブジェクトとの関係性がなにより重要なものとなっている。

ここでART作品との接続を図る美術館としての建物の価値が浮き彫りになるのである。


 そろそろ本の話に戻そう。これらの作品の最終目標はきっと美術館の中ではない。

美術館はあくまで通過点であり到達すべきは本であり、その目的は記録されることにあるのではないか、と。

 考えるということが重要な現代アートの作品にとって美術館という場はあまり相応しいとは言えない。なぜならそこは多くの人が行き交う場だからだ。そこは色々な音で溢れている。歩く音、小さな話し声、カメラのシャッター音。それはカフェの中で人目を気にせず勉強ができる学生ではないとこの作品を楽しむことは不可能だろう。

 故に作品の居場所を本に移す。すると私たちはこの作品を好きな場所で好きな時に椅子に座って考えることができるようになる。

 がしかしここにも問題は潜む。この作品は現代アートの作品集の中でなければほとんど機能しない、ということだ。それが週刊誌の中では駄目だし、ファッション誌でも駄目なのである。そこには美術館のような構成が求められる。つまり1ページ1ページがホワイトキューブのような場で、イメージが添付できること。そこに会場説明のキャプションのようなテキストが書けること。そしてこの本が本屋や図書館の芸術コーナーに並べられることを必須としてこの作品の芸術性を担保することが重要なのである。

 実際この”1つと3つの椅子”という作品の構成はイメージとオブジェクトとテキストで成り立つ。それは本の構成と非常によく似ている。本自体も複数のイメージと紙とテキストにより成り立つものである。つまり本はコンセプチュアルアートとの相性が非常にいい。そして芸術が記録を目的とする場合において本は最適な場だと言える。


 そのような観点から建築と本の関係性を見ていく。

テキストとイメージによる建築の可能性。それは建物が土地に定着するが故に失われる流動性を確保することにある。つまりスペインの建築でも、アメリカの建築でも私たちは日本という場からイメージとテキストを通してそれを知ることができるし考えることができる。

建築においても現代ART同様その作品を実際に体験することよりもその作品について考えることのほうが大事だという状況に限りこの関係は有効である。

 建築における問題というのは実際に見てみないとその建物の良さはわからないという人も一定数いる。だがここで一つ思い出してほしい。まず建築は建物の話ではない。建物、これは実際に見てみないとわからないかもしれない。が建築に限ってはそうではない。この建築が現代ARTと連動している限りにおいては実際に見ることはそれほど重要ではない。

つまり現代建築を知るのに特定の建物を訪れるという経験はあまり意味がないのである。そしてこの事実を否定すること、それは建築には概念が存在していないことを意味する。それでは近代建築以前の造家に逆戻りだ。


 現代アートは建築の20年後に生まれた。

 もし現在の建築に概念がないのであれば建築の20年後に生まれた現代ARTを今の建築は見落としている可能性がある。そのような可能性も踏まえて建築を観察しなくてはいけないのかもしれない。そうでなければ現代建築という新たな時代はいつまで経っても訪れることはないだろう。

 こうして見えてきた建築の新たな概念、それは確かにあって私たちはこれをどう発展させていくことができるのか、今それを試されている。


 3人のマルセルデュシャンが美術館の中で私たちの現代建築を今か今かと待っている。


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