隈研吾が屋台。って東洋経済オンラインに載ってたので。
建築家がパン屋をしたり、屋台をしたり。都市のため人のため、ってことで始まるこの様な活動。いいと思います。すごい行動力だし。
だけどその建築家の身振り手振りがどれだけのものなのか、改めて皆さんに考えてほしい、そう思います。建築家に仕事を与えるのは皆さんだと思うので!
実はこのような活動って1998年に発刊した関係性の美学(ニコラ・ブリオー)から湧いてでてきたもので、今になって建築家が美術館って場所から都市に引っ張りだしただけのコンテンツなんですね。で、ここからが自分の気持ちなんですけど、やっぱ少し残念だなってどっかで思ってる。なんか建築家より建築家らしい芸術家たちの存在が今になってより際立ち始めているから。
今、日本で注目さていること、世界のそして芸術の後だしです。これからの建築家の未来はどうあるべきか。建築家の卵のためにも少し勉強します。
これリクリット・ティラバーニャの作品です。
美術館の中でカレーや焼きそばを振る舞います。
鑑賞することが美術館のオーソドックスなコンテンツ。だけどそんな場所で食事をしたり会話をすることで新しい関係性を作る。都市でやるより意味が溢れているし、その場の特性を脱臼させる行為がその場の特性を今まで以上に強調させます。
そんな新しい空間です。
テキサス州にある砂漠の街マーファのPRADA。
Elmgreen and Dragsetの作品。
建築ではなく現代アートです。より建築家の仕事の様です。ここでは建物とその中身の関係性を脱臼させるという言葉が適切でしょうか?見方は色々です。だから考えてしまうんですね。建築の未来を。
とこれ。なすび画廊と言います。小沢剛の作品。牛乳箱を用いた極小の画廊です。これを路上でオープンさせました。より建築的で優れているように見えませんか?別に大きさなんて関係ない。でもそこに新しい人との関係性の場を作り出している訳です。パン屋とか屋台より小さくて低コストで優れていると思いませんか。持ち運びも楽ですしw
私達は建築家に振り回されては駄目です。建築家は私達が振り回さないといけませんw そのためにも様々な知識とか経験とかってのは無駄にならないと思います。そんな情報もこれから発信していけたらと思います。
建築にはコンテンツが大事だと思います。でもそのコンテンツを何処にしまうのか、もっとも有効なのかってことがより重要になります。これが建築家の力の見せ所です。みなさんの目で改めて日本の建築を建築家を見てみてください。
ここに建築は可能か。
Comentários