帰ってきました。明日からは通常運転に戻ります。
実家では始めて親父とお酒を飲みました。いつの間にか普通にしゃべれるようになっていました。歳をとったということだと思います。
今日は自分の居場所がどこかわからなくなる、そんな感覚になりました。熊本には確かに自分の居場所があって、そこにすんなり適用することのできる自分がいます。親友の家族との会話もスムーズで違和感がありませんでした。風景は以前のそれとは異なりますが、それも想定内の話しです。白川が大きくなり、コンビニがスーパーマーケット化し、街にはたくさんのダンプが走り、建て替え工事が盛りだくさん。自然の力、人の力を感じる4日間でした。
ただ、東京に戻れば自分だけの完璧に近い空間があって、そこはどこより落ち着く。人に気を使うということは皆無で好きな時に風呂に入り酒を飲む。
自分の居場所はどこなのか?
きっと両方だと思います。そんな贅沢な人生もありです。そんな欲張りな人生を建築しなければいけない、そう思います。
仮想通貨でもなんでもそうです。建築学を利用します。
それは効率がよいものでしょうか?
いえ、多分違います。
もっとバランスを大切にします。環境に配慮します。
価値の移行を行ないます。
生活の流動性を確保します。
人生のパフォーマンスを謳歌します。
それは朝昼夜の食事です。
24時間身につけるものです。
そしてリレーショナルな関係性の美学です。
建築の問題は建物の問題とは異なります。建物の問題は工学部で学ぶことができると思います。しかし、作品との関係性をそこで学ぶことはできないでしょう。ものを作るということと文脈を得ることは異なります。その両方をなし得る建築でなくてはなりません。
建物を作ることは免許があればできます。しかし、建築はそれでは作れません。
Comments