少し自分の活動を振り返ります。
Pharmakonという名のボディーアーキテクチャ。2014から構想を始め2015に制作を開始しました。それは2011の震災から建築の未来を考え始めた自分の一つの回答であり、あの時あの経験を忘れずにいるために体にはめ込むモノ(記憶)です。
それは入れ墨のようでそうではなく。決して指輪やアクセサリーと言い表せるようなものでもない。そしてなによりボディーアーキテクチャは建築のための建築なのです。身体にそして建築に2011の建築の記憶を建築するのです。
死、生と向き合うボディーアーキテクチャーの帰る家は身体です。そして記憶と痕跡というもう一つの家とも繋がります。それは木製パネルの裏にある空間にできた建築。その建築がボディーアーキテクチャの記憶と建築の文化を繋ぐストーリーになります。新たな建築が過去の建築を補強する。それが現代建築作家としての自分の役割なのではないかなと思っています。
その後再び経験することになった2016熊本地震。今でもあの記憶がよみがえり怖くなります。いつか本当に建築を信用できなくなる日がくるのではないだろうかと。その時同時に考えます。自分にとって大切な人をどう守るべきなのかを。そして多くの命を守ることのできる建築は本当に可能なのだろうかと。身体を守ればOKではない。心も同時に守れなければ本当の建築ではない。今はむしろ建築文化そのものが危ない。アノニマスな建築にはきっと人は存在しなくなる。
常にそんな危機的状況と2011、2016の記憶を身につけ、自分の建築人生を歩んでいかなければそう思っています。自分の建築人生は地震と共にある。振り返ってみて改めて今そのように感じています。
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