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執筆者の写真Gaku Sakura

現代建築作家4 ダンスと建築


ダンスと建築。というテーマで続きを書こうと思います。

そもそもダンスは建築に成り得るか?

ファッションは建築は成り得るか?

音楽は建築に成り得るか?

料理は建築に成り得るか?

全て成り得るはずです。

全ては建築である。と語る歴史の中で私達はなぜ建物ばかりに建築を見ようとするのでしょうか?

ダンスに建築を見る。すごいかっこいいじゃん。って思うのに。

評価することができないのは寂しいですね。

理解しようとしないのは残念です。

一度飲み込んでみる、ものすごく怖いけど大事なことだと思います。

消化できないかもだけど一度飲み込んでほしい。もしくは口に入れるだけでも。

ここでなぜこのような状況になってしまっているのか少し分析しようと思います。

建築家のホームページや建築雑誌の建築写真を見るとわかると思うのですがそこに人がいない・・・・・・!!!!!!!ということが非常に多いです。建築を始めて10年以上気にもしませんでしたが。

もちろん全ての建築写真がそういう訳ではありませんが、人のいない建築がとても多いです。建築の専門性が高くなれば高くなるほどこの傾向が強くなるような気がします。CGや設計図には人をよく入れるのに。

そんな中ザハやヘルツォーク&ド・ムーロンの建築写真には人がわりかしいるような気がしますが・・・

なんでかなーと考えてたどり着くのが建築的ダンスに理由があるのではないかなと。つまり流動的で可変するものを建築家自身が恐れているのではないのかということ。もしくはそもそも人を含めた空間設計を想定して建物を作ることができていないということ。人がいないときが一番魅力的で見せたい建物ってどうなのか?人が存在しなくなった世界の建物。なにか人が住んでた雰囲気を漂わせる建物の写真。そんな建物に建築的な価値があるのかを考えなくてはいけません。

建築という評価軸、見直すこととても大事だと思います。

リノベーションという評価軸も建築に加わりつつあります。

現代建築作家としての自分の役割、人と建築を結ぶこと。


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