現代建築とファッションの関係性を自身の活動の中では論じる必要があるのかなと思い年明け早々パソコンに向かっています。
建築とファッション。ユナイテッドヌードのレム・D・コールハース、キプロス出身のチャラヤンというファッションデザイナーは建築との関係がものすごい深いデザイナーだと思います。チャラヤンの2001年のコレクションでは戦争が始まって10分以内に家から退去しなければならないというシチュエーションが想定されていたりします。日本の環境の中ではそれが地震、そこから連動する原発の危険からの退去という風に置き換えると想像がつきやすいのかもせれません。
建築家としてはザハハディッドやゲーリーなどがハイブランドとコラボしてバックや靴のデザインをしてたりします。ファッションも建築も身体を守るという役割があります。違いはサイズもしくは素材といったところでしょうか。でもそれは大した差ではないように思います。結局私達自身の身体を守るということが大前提としてあり、必要に応じてサイズや重さを調整しているだけの話です。そして自分たちを中心において物事を考えるが故に各々の可能性を極端に狭くし、結局機能性やコストといった問題に終始してしまいます。
しかし視点を変え、建築のための建築、ファッションのためのファッションもしくは建築のための○○、ファッションのための○○として物事を考え始めれば視野はどんどん広がっていくように思います。そこに私達の身体が関与するのか、精神が関与するのか、もしくは不在なのか。私達がこのような物事に接触せざるおえない状況がもうすでに存在しているはずです。その関係性を改めて見つめることでその価値を知ることになのではないでしょうか。
そしてそれは歴史との接触を企てます。
その中で見えてくるコンテクストこそがそのものが何に所属するものなのか知る手がかりになるはずです。建築が自分たちの知っている姿のままではいられないことを知っているのは歴史だけではないはずです。
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