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執筆者の写真Gaku Sakura

私達世代。現代建築作家


なんか終わりと始まりを感じる季節になりました。卒業式とか入学式とか。私はこの時期が嫌いです。なんかフワフワしていてなんか人との関係とか全てが手探りな感じで。すごい気を使う。家から出た時の空気感とかはすごく好きなんですけどね。春ってすごく複雑な季節なんだと思います。

武蔵野美術大学の建築学科の同期。中にはすごい面白い活動をしている仲間もいる。村上慧くん。彼は家を担いで全国を旅してたりする。今はどこでどういった作品を作っているのかわからないけど。すごい気になって見ている。彼の見ている建築の世界は一体どんなものなんだろう。いつかゆっくり話しをしてみたい。


私達世代の建築。きっとそれは今までの建築とは違うもの。

私達は2011年東日本大震災を経験した直後に大学を卒業した。

建築との向き合い方、関わり方を再考し行動に起こす。まさに試行錯誤の建築。今までぼんやりと見えていた建築の未来。それは全て倒壊してしまった。変わらなきゃいけないと思ったし、変わらざるを得なかった。必ずまた起こる災害に備えて。

そんな時、熊本地震が起こった。2度の大きな地震。もう駄目かと思った。みんな顔を会わすと泣きそうな顔をしていた。それは悲しみと恐怖と安心と生きている喜びと、すごく複雑なもの。みんな建物には入りたがらなかった。地球が太鼓みたいにドンッと大きな音を立てて、その後大きな揺れがくる。

それは映画の世界なんじゃないかと思えるほど非現実的な現実だった。

建物作る建築家。絶対に必要な存在。間違いない。けど、その場所が信頼できるものではなくなってたらどうしますか?私達世代の建築家。


「ゼンカイ」ハウス。

包帯でぐるぐる巻きの建物。とても痛々しい記憶の建築。ここから建築は何か変わったのだろうか?進化したのか退化したのか?

難しい日本建築史。東日本大震災に向けて。


みんなの家は本当にみんなの家になったんだろうか。三谷幸喜さんのみんなのいえは本当にみんなのいえになったのだろうか。建物の弱さが明るみ出て太い部材使って安心させようとしたり。被災した人たちはそんな柱を見て果たして本当に安心できるのかな。逆に心配になっちゃったりして。自分の家とみんなの家。柱の太さまったく違うけど自分の家は本当に大丈夫なの?って。

駄目だと知りつつ和室を6畳から20畳にしちゃったりして。家ってそもそもみんなのために作るものなのかな。

私はまだ建築の可能性を信じてる。諦めたくはない。

日本の建築史。日本新建築史にしなくちゃ。がんばろ。

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