昨日は凹んでましたが、立ち止まってはいられません。自分はひょっとしたら冷たい人間なのかなーとか考えてしまいますが、自分の活動がちゃんとした歴史になるように行動しなくてはいけないと今は思ってます。
お風呂に入るからと思って録画してたもの。TVもDVDプレイヤーも当時のまま。TVにもDVDプレイヤーにも地震を経験した痕跡や記録が残ってます。
当時、料理の仕事してた厨房の映像とかもあるのですが、防犯カメラの映像なので色々問題がありそうなのでアップはしません。個人的に観たいという人は会った時にでも見せます。お店が8Fだったので被害もすごく大きかったです。どのTVで放送された映像よりもひどい映像になってます。
今感じていることは、自分の記憶や記録が本当に曖昧になっていくようで怖いということです。その時の記録から正確な記憶が蘇ってこなくなりつつあります。
それはたまに読む小説みたいです。栞挿しておいても、それ以前のストーリーがなかなか思い出せないといったような。だから少し前から読み直さなきゃいけなかったりして。
芸術も建築もそうですが、海外の歴史と摺り合わせていかなければ日本の形(歴史)は見えにくいものです。もし日本の歴史にしたいと考えるなら断片的過ぎる記録では駄目だと思います。連続的な記録が必要になるし、それを構築していく日本独自の建築(構築)技術が必要だと思います。それを専門的に行う場所がちゃんと機能するのかどうか、とても重要だと思います。それから独自にそういった事を行うことのできる場所をこれから作っていけたらなと思います。
クリスチャン・ボルタンスキーの作品。今見ても複雑な気持ちになります。受け入れられるとか受け入れられないとかという問題ではありません。ここに一つの事実があるということだと思います。
今日はこんな感じの内容で終わりにしようと思います。今度は明るい話を持ってきます。
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