ジェフクーンズとヴィトンのコラボみたい。過去の絵画は下地。モノグラムや文字が現代絵画。これが今。絵を描く事。キャンバスの上でやってても見えないことが見えてくる。デザインとアートがオーバーラップしているわけじゃない。キャンバスに絵を描き持ち運び可能な財産にするのなら、バックに絵を描いた方がいい。スケボーに絵を描いたり、車に絵を描いたり、別に特別なことじゃない。キャンバスに絵を描く、すごく異常なことのように思える。平面がいいならより平面的なものを選択すればいい。わざわざキャンバスを手に取る必要はない。
芸術は常に恐れている。HIGH&LOW。画家は建物に帰属する。ならなぜ直接建物に描かない。絵画も模様替えがしたい?なら絵画はインテリアで十分。建物はそこにある。逃げ出したりはしない。建築家の方がちゃんと向き合っているでしょ。その状況に。それが嫌なら外で絵を描けばいい。雨の日も台風の日も絵具を使って。
ロスコチャペル……
絵が持ち運び自由になる。すると場のスペシャリティは低下する。
場にサインするサイトスペシフィックアートが生まれる。これもまた芸術。結局繰り返す歴史。決着をつけなくてもいいけど、そこで作品を批評することの理由がなくなってきてしまう。あっちを批評してそしたら今度はこっちを批評して。結局、同じようなこと繰り替えす。答えはない。
ちょっとした拠り所建築をその都度作り直すスクラップ&ビルド。だったらキムタクや三代目がテンダーロインの指輪をした方がいい。JAY-Zとビヨンセが村上隆の作品を部屋に飾った方がいい。批評家にドレスを見せるより、レディーガガにドレスを着てもらったほうがいい。それが今の評価。イメージ。じゃ文字の役割は?
芸術とデザインは結局、建物に帰属する。そして建築は人に帰属する。
美術館もブティックもあんまり変わりはない。品を並べて見る。ただそれだけ。そこに何を読み解くかは別の話し。ならその別の話を物事に起こすしかない、それが建築の役割だと思う。
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