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執筆者の写真Gaku Sakura

趣味の話し。


今年一発目。今年はちょっと力を抜いて適当に……という訳にはいきませんが肩の力を抜いて色んなことを考える時間にこの場がなればいいなと思っています。

自分の趣味って一体なんだろう?自分の好きなことって一体なんなんだろう?と考える今年の初め、気がつけば銀座にいました。

そこにはドーバーストリートマーケットギンザやハイブランドのお店があって……。

きらびやかで時にチープにも演じるその歴史を考えれば自分の歴史がそれらのブランドや建物にかなうわけもありませんでした。



このヴィトンも終わるらしいです。新しいヴィトンが近くにできていました。



建物の歴史には勝てるのかもしれませんが……建築の歴史には勝てそうにありません。

で結局こういう歴史に触れるのが好きだということになってしまいそうです。つまらない回答ですね……


そう言えば新しい作品をアップしました。

少し説明しようと思います。

「ある日、街に貼られたステッカーに目がいきました。

ヴィトンのお店の前に、グッチのお店の前に、プラダのお店の前に、ディオールのお店の前に……その関係に魅力を感じました。下克上とまでは言いませんが、これらの歴史に立ち向かおうとする凛としたものに見えました。ここに俺が、私がいる。というあまりにも弱弱しく、ほとんどの場合見過ごされてしまいそうな、街にとけ込んだそれらの宣言がとてもかっこ良く見えました。それは現代にとって効力をなくしたほぼ無能な機能であり、忘れ去られていくものの抵抗のようにも映ります。これがストリートです。街やスケートボードの裏に貼られたたくさんのステッカーがそうです。そしてこれが全て繋がる一つの歴史であるということなんじゃないかと考えてみます。

私が行なう上書きという行為は彼らの行為を踏みにじる行為でもなく、そしてヴィトンやディオールなどの歴史に挑む行為でもありません。ストーリートに貼られたステッカーの上のステッカーは時間の更新です。ハイブランドの歴史の上にあるのは信頼や信用でしょうか。きっと違うでしょう。

これは歴史との対比ではなく、現代という場の再構築です。

宣伝という行為はシュプリームのステッカーのように扱われます。それは決して間違いではありません。少しずる賢く映ってしまいそうなものが時にスリリングでかっこ良いもののようにも見えます。肯定するわけではありませんが、歴史に接触する一つの方法です。

ただ私はこの方法を採用したつもりはまったくありません。スリルを味わい生を実感したわけでもなく、歴史を否定したかったわけでもありません。

私が考えていたのは、メディアの可能性が広がっていく中での建築の役割です。

一つの文化が一つの文化として成立するだけの強さを感じることは現状できません。弱いということではなく、バランスが大事だということでもありません。その足元に建築があっただけではないか?という考えが、今後はその建築が私達の足元だけではなく、私達の頭上に、もっと上っ面に現れることもありえるのではないか?すると今までのあり方は何かによってすり替えられていく。何かのルールを有することもなく。そんな未来って……」という内容です。

で趣味と言えばなにか?ですが、音楽も好きだし、ファッションも好きだし、映画も好きです。その背景に現れる建築がもっと好きということになってしまいそうですが……今見たい未来は建築が背景と役割を失いかけた時どう建ち振る舞うかです。

そんなモノ、コトの成り立ちを実感することが好きなのかもしれません。適当に選んだつもりのものでも実は結構意味があったりするのだと思います。うーん、考える時間。でした。


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